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『賭博黙示録カイジ』
太宰治 『富嶽百景』を
榊原英資『巨大市場 インドを読みとく』
榊原英資 『食がわかれば世界経済がわかる』
『ディズニー・ドリームの発想〈上〉』
『耶律楚材』
演劇 『草迷宮』
宮部みゆき 『模倣犯』 (三) (四) (五)
宮部みゆき 『模倣犯』 (一) (二)
『最強の投資家 バフェット』
ミュージカル 『CATS』
秋の夜長
小説 『理由』
小説 『神はダイスを遊ばない』
池波正太郎とオタク
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- [2007/02/24]
ということで、本日シルクドソレイユの『ドラリオン』見てきました。なかなか演出が細かく練られていて感心しました。ただ、細かいところに気を取られていると、メインの大技を見逃してしまうという・・・
ジレンマが。
ストーリー性はあまり濃くなく、代わりに何となくオリエンタリズムを感じさせるショーでした。そのせいか、わりと見終わったあともアッサリとした感じ。
それはそれで良いんだけど、これなら、劇団四季の『ライオンキング』を観に行くかなあ。
命綱のワイヤーを付けていることが多いんですが、それを着地時にも使うため、「もしかして倒立の時なんかも少しワイヤーで持ち上げているんじゃ?」と思わせる(俺だけかもしれませんが)点が、ちょっと残念。
それにしても、引退したアスリート選手がパフォーマンスをする舞台があって、CMをテレビでやってたんですが、全然興味が無かったわけですが、基本的には同じようなもんだなあと・・・。まあ演出の洗練度合いは異なるようですが。
まあいつか子供が出来たら、見せてあげたい。んだけど、もっとこう、背徳感のあるようなサーカスのほうが良いかもしれないとも思いましたね。虎とかサルとか出てくる系の。
などと話しながら、新宿で降りて電気屋をブラブラしました。
プラズマテレビを買う予感をビンビンにしつつ、勢い余って、日ごろ飯には保守的な俺ですが西口のステーキ屋へ。サーロインを頼みましたが、美味しくなかった。ヒレの方はけっこう美味しかった。
まあ1500円くらいだから仕方ないのかな。
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ジャン・リュック・ゴダールの名作『気狂いピエロ』。一度見る価値あり。DMMなら2週間無料。
- [2006/12/04]
『賭博黙示録カイジ』を読む。
この人の漫画はだいたい、無敵王みたいなフィクサーがいて、しかもそいつがギャンブル(というかギャンブルという名のエンドルフィン無限発射!)が好き。んで、そいつにある意味で天才的なギャンブラーが挑むみたいな展開が多い。
『アカギ』にしてもそうだが、ギャンブルのときに確かに出る脳内麻薬で痺れた心理が面白く描かれているし、『カイジ』では考案されるギャンブルや仕掛けが楽しい。
実際、『アカギ』は麻雀の話だが、「この牌を通せない・・・!」みたいな心理状況はたまにある。もちろん劇中の話ほどではないが。なんだろう、実際にお化けを見た人の話と、なぜだかたまーに自分の背中がぞくっとする体験くらいの共通点(あるいは違い)のような感じ。
その心理状況、俺の個人的な体験だと知らない人と麻雀を打つとそうなることが多かったですね。
ざわっ・・・ ざわわっ・・・!
ってなもんですよ。つまりは自分の恐怖心が自分の心理を萎縮させるみたいなことです。今は相手がどうであれ、自分のやり方を変えないからそんなに気にしないですけど。だいたい、ヘタクソだし。
絵の個性が強いが、それが苦にならなければ面白い漫画です。
- [2006/08/03]
青空文庫で、太宰治の『富嶽百景』をダウンロードして読んだ。
そんなに著作を読んだ訳じゃないが、ああいう感想は太宰らしいなと思った。さすがというか、やっぱりというか。
というより、むしろ富士にまつわるエトセトラだな。
- [2006/06/10]
榊原英資『巨大市場 インドを読みとく』を読む。
インドの可能性と弱点が多彩な資料で分析されていて、面白かった。
簡単に纏めると、可能性としては
・国策の変化
・ITと医療の成長
・中産階級の台頭
また、課題としては
・インフラの整備
・先進国資本の動向によるボラティリティ
・ポリティカルフラグメント
それらの分析とは別に、韓国LG電子のインド市場の攻略方法はとても興味深かった。言葉にすると簡単なことだが、ニーズとそれに応えるサプライ、そしてコマーシャル。これを徹底的にローカライズして、的確に実行できる企業だけが多国籍に展開し成功を収められるのだな、と・・・。
つーか横文字多いな。
いずれにしても、正直、アメリカの金利政策等に影響されすぎる現在のインド市場の被害を被ると、ネガティブな面ばかりに目がいってしまう・・・。
ところで最近、本をよく読むのだが、その分、映画を観る時間が減った。時間的な問題もそうだけど、どうも、映画ってのは強制的に2時間取られるのがシンドイ。まあ、勝手に3部作にしたりなんかするわけだが・・・
- [2006/06/03]
榊原英資『食がわかれば世界経済がわかる』(文藝春秋)を読む。食を通して、近代史を捉え、その上でアジア的なライフスタイルや考え方を見直すことを提唱している。
たまたま南宋〜金〜元の中国史を扱った陳瞬臣の『耶律楚材』を読んでいたので、その辺りはより理解が深まったし、それ以上に、アングロサクソンのシステム構築能力を分かりやすく書いていたところはとても興味深かった。
ただ、巻末に向かうに従って、単純にアジア的なものへの回帰、リオリエントを唱えるだけになってしまうのが物足りなかった。世界経済がわかる、というほどでもないと思った。少なくとも現在の。
その点では、これは偶然だが、本日のテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』で特集されていた『食の危機』のほうがためになった。
つまり、今まで安い労働力で資源から工業製品、農産物を輸出してきた中国が、GDPの増大に従って、強烈な資源消費国へとなってきている。結果として、現在、世界の食糧ストックが70年代の食糧危機レベル(15%)まで落ち込んできている。
そして日本の食糧自給率はおよそ50%。しかも世界で流通する食品の10%を輸入している。
つまり、そんな日本だから、食料の安定した輸入体制の構築が今後必須だ、ということだった。
そのために、貿易の方法として、FTAもそうだが、WTOで包括的に、リスクを押さえたやり方をとった方がベターである、と。
あまりテレビでは説明が上手くなかったが、それはつまりこういう事だろう。
たしかに、普通に考えて、二国間で協議するFTAは交渉しやすい。しかし、相手国が他の国とまたFTAを結んだりするといけない。つまり、供給の面での不安定さが懸念される。したがって、そのFTAを重視しすぎてWTOをないがしろにしてはいかんということだろう。なるほどなあ、と感心した。
さらにいえば、外務省の日本のFTA戦略(要旨)にある、3.(2)の
あるいは農業分野における市場開放と構造改革のあり方は避けて通れない問題。
と書いてあるように、FTAの影響を受けたこれ以上の自給率低下は考えものだと思う。
70年代の食糧危機で大打撃を受けた日本の農業だが、そろそろ現状を見直して、復活を遂げた方が宜しい気がしてならん。「安全」などをキーワードとして。
つーか俺、輸入野菜とか果物とか怖くてよー食えんわ。
前述の『食がわかれば〜』もそういう点が書いてあったらもっと面白かったと思った次第。
- [2006/05/29]
『ディズニー・ドリームの発想〈上〉』を借りてちょっと読んだが、かなり面白くないので途中でやめた。この手の本って、自著はあんまり良くないね・・・
榊原英資の本2冊と、『象が歩いた』を借りた。
『象が〜』はエッセイ集なのでさらっと読めて宜しいのだが、小谷野敦が書いた、「ケータイを捨てよ、書を取れ」が面白かった。
寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは、そのころの大学生が「書」を読んでいたからである。今は、そう言ってはいけない。バカ同士が駄弁を弄していよいよバカになる装置たるケータイを捨てて、書を取れ。
- [2006/05/16]
陳瞬臣の『耶律楚材(上)』を読む。
高校の時に習った世界史を思い返しながら。おかげでちょっと世界史が懐かしくなった。
・金が北方の勢力を抑えるために、ゲーム理論宜しく、互いに牽制し争うような状態を作り出すことによって勢力の拡大を阻止していた。しかしそのために、チンギスハーンという怪物を結果的に産み出すことになってしまった。
・耶律楚材は「小さな政府」を志向していた。
とりあえず印象に残ったのはそんなところ。
- [2006/05/01]
Hさんのお勧めで、誘われて、劇団万有引力による演劇『草迷宮』を鑑賞。
原作は泉鏡花。すごく耽美的な名前だ。高校の授業の時に、そう思った。だが作品は一度も読んだことがない。
台本、寺山修司。俺は寺山修司の短歌が好きだ。一編読んだだけで、その世界が眼前に展開し、引きずり込まれる。中でも俺が好きな、
「マッチ擦る/つかの間海に/きりふかし/身捨つるほどの/祖国はありや」
この歌なんかは、ダイナミックな時間の展開、幻想的な世界、郷愁といった要素が渾然一体となっていて、素晴らしい。「ふかし」の二重の意味が堪らない。東北訛りならなお良い。素直に天才だと思う。
構成、演出音楽などは、J.A.シーザーで、この人はたしか寺山の舞台や映画などで音楽を担当していたという人。ちなみに外国人ではない。アニメ『少女革命ウテナ』の音楽を担当したこともあったりする。その当たりは、このページにインタビューがあり、面白い。
さてとりあえず、映画『田園に死す』を見て、軽く予習をしたのだけれど、芝居も同じような世界観が強烈に演出されていて、良い。
現実から遊離したあの白塗りの顔や、暗黒舞踏みたいな踊り、彩度の高いセットの色遣いなど。こういう演出というか意匠は、好き嫌いはあるのだろうが、俺は個性的という点で評価する。
Hさんは、色々とその意匠の意味を探るというか理解しようとしていたらしいが、俺はそういうのは出題者しか答えの分からないなぞなぞみたいなものであまり本気になって考えてもいけないと思ってる。むしろ、そういった意匠は、詩におけるシニフィアンみたいなものでしょう。したがって、何度も観劇し体験することでなんとなく感覚的に理解っつーか、身に付くもののような気がする。
脚本、内容については、なんでしょうね、遍くある様々な母性、身を預けうるルーツ、を書いているような。まあ良く分かりません。とくに、芝居の場面ごとの意味は解せても、さてそれが一つの物語としてどうなのか、というところが。なんで最後に斬り合っていたのかね。『田園に死す』の家出みたいなもんかしらね。
芝居については、これも個性的で、何人かの役者には非常に感心しましたが、一方で、よほど滑舌や声質に恵まれていないと、ただ聞きづらいだけの代物になってしまうような台詞なので、その意味で残念な人も結構いました。
帰りに、一緒に見に行ったJazz/SoulシンガーのA.G.Mさんからニラやさやえんどうを貰いました。みそ汁にした。
- [2006/01/10]
『模倣犯』を読み終える。
全巻中、三巻は栗橋の人物像を詳細に書いていて、他の巻とは少し印象が異なった。面白い部分もあるが、比較すると退屈なところも。どうせなら、ピースについてもあれくらいに書いてあると良かったのだが。
四巻についても、同様に、弁護士の話はいらなかったと思う。ただ、こういった話は、作者のすさまじい取材力を見せつけるし、物語と離れたところで、ちょっとしたジャーナリズム的な内容として知ることが出来る喜びがある。前畑が編集長に詰問されている内容と、いくらかは重ねられるのだろうか。
五巻は結末が良かったなあ。犯人を知っている読者が登場人物の行動に関するもどかしさが高まっていくぶん、驚きと痛快さがあった。ただ、あの場面で怒り出す人物だっけ?むしろ黙りこくるんじゃなかったっけ?とは思ったが。
全体として、物語的には最高に面白いし、ただの推理小説として一遍読んで終わり、ではなく、「犯罪に対する環境」とか「青年心理」、「家庭とは」とかいったふうに、複数の観点から読解していける作品なので、スゴいものだと思うしお勧めであるが、就寝前などに読み始めると睡眠時間が狂わされる可能性があるので要注意。
映画も見てみようと思うが、見た人の評判は芳しくないのが引っかかる。確かに、この内容、ボリュームだと、脚本家がかなり優秀でないと物語を殺してしまうかもしれないな、などと勝手に思う。
- [2006/01/7]
年末年始に、宮部みゆきの『模倣犯』(一)を文庫で。
この作品もやっぱり、ストーリーや展開の仕方が秀逸で、ついつい読み切ってしまう。面白い。
特に、時間の展開の仕方が、情報伝達の線形性に挑戦、というか上手くそれを利用して良い風に表現していると感じる。
それから、後半の英雄うんぬんという洞察は、感心すると同時になにかこう身につまされる感じがして薄ら寒かったり。
そのほか、ちょっと作りすぎかなあ…と思うところも。まあ好みの問題だけど、やっぱり『理由』が一番だったな。
とりあえずあと4巻もあるのでとっとと読み終わりたい。そのころには、部屋にステレオ設置も完了できて映画をまた観まくることが出来るだろうな。
まあ今年は忙しそうなので、どれほど観られるかちょっと不安な気持ちもありますが・・・
その点、本は、特にこういうミステリーものはガーッと読めて、しかも気分転換になっていいようだ。
とかいってるうちに、(二)は薄いこともあって、あっという間に読み終わってしまった。
犯人の生い立ちの描写からいきなり入っていくのが唐突に感じたが、斬新でもあったし、なかなかリアルな描き方をしていたのでまた感心した。
- [2005/11/17]
『最強の投資家 バフェット』牧野洋 日経ビジネス文庫
をGより借りて読む。
グレアムやゲイツといったなじみ深い人物も出てきて、普通に読み物として面白かった。
投資の本としては、市民が高僧の説法を理解しきれないようなものだが、基本的なスタイルがとても参考になる手法なので、もう少し早くこの本を読んでいたらなあと思ったりした。
もちろんその根幹をなす数字の扱いなんか俺が38万人いても出来やしないが、爆発した俺のポートフォリオが大爆発だったろう。家族旅行の両親の分くらいはビジネスシートにできただろう。
少しだけ知識があったほうが読みやすい、特に日本の金融市場の新しい出来事も引用されているので、だが、無くても十分面白い。
あと株や投信などは無くなっても良いキャッシュフローでやりましょう。
評価:★★★★☆
- [2005/10/28]
劇団四季のミュージカル、『CATS』を観る。
ミュージカルというのはあまり好きではなかったが、『ライオンキング』を観て、その演出や歌声のスケール感にいたく感動した俺。
そんなわけで本作にも期待が膨らむ。ちょうど、前夜に観た映画にたまたま『CATS』の話が出ていたりなんかして、そういう偶然のシンクロニシティがあって、さらにテンションが上がる。
さて。
スケール感という点では、『ライオンキング』のほうが良かった。本作も、総勢30人くらいが一同に歌うのだが、おそらく脚本の設定、舞台の大きさ、セットの造りといったものに由来するのだろう、スケール感というよりはむしろ舞台上との近さ、親近感などの印象が強かった。
演出はさすがに凄いなあと思った。舞台装置に驚かされる。それから、あの各人が一つずつパーツを持ち寄って集まり、なにかを表すというのは劇団四季の十八番なのかな。
曲は『オペラ座の怪人』を作ったロイド・ウェーバーである。様々な音楽のエッセンスが巧妙に取り入れられていて、文句なしに良かった。一緒に行ったWは二度目で、音があまり良くないね、と言ってたが俺は初めてなのであまりそうは思わなかった。
踊りはバレエが目立っていた。特にマジシャンのグラン・パ・ド・ドゥ。まあ、俺が少しであるとも分かる踊りのジャンルがバレエだったから余計にそう思うのかもしれない。
脚本は、あまり良くない。特に中盤までは、展開が唐突でちぐはぐな印象を受けた。英語から日本語に訳した詩が凡庸で、何を言っているのか良く分からないので余計にそう思う。日本語訳と言えば、最後の合唱で「ねーこー、ねーこー」といい大人が声を大きく揃えて歌うのが異様に面白かった。「ねーこーはいぬじゃなーいー」。3歳児の深遠なる哲学だな。
猫一匹一匹の個性は際だっていて良かった。なのでもう少し、選ばれし猫というところで、各猫がそれについてどのように思いをはせるか、そういうドラマ仕立てにした方が深みがあって絶対に面白いはずだ。
最後に、見るとは無しに観客の顔を見ていたのだが、現実と夢の端境が溶け始めていてうっとりと舞台を見ていた。「自分が猫になった気分だぜ」と映画の中ではふざけて強盗が言っていたが、まさにそんな感じの面をしていた。単純なストーリーに思考を止められて、美しい物に一体化するという恍惚に浸っている顔。舞台の小汚いセットだけがささやかにその恍惚の邪魔をしているようだった。
なんだろう、宝塚ファンならこの恍惚を知っているかもしれない。猫の個性、化粧による端正な顔、美しい歌、共通するところはあるように思う。
俺はそういう風な精神状態になれない、というか嫌いなので、やっぱりスケール感のある『ライオンキング』のほうが良いなあと思った。
評価:★★★☆☆
そのあと、Wの家で食事。時間も時間だし翌日も仕事なので適当に鍋。『CATS』の前に買っておいたシャンパンを飲む。
W、H、Sとの楽しい食事。なぜ俺は『CATS』の会場で猫耳バンドを買わなかったのか、買ってこいつらに付けさせれば、かなり萌えーな夜の宴じゃねーか、とすごく後悔した。
LUMIX FX-8にて、動画など撮る。
FX-8/9、かなり良い。
- [2005/10/17]
*ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を2ヶ月前くらいから読んでいるが、どうも進みが悪い。
*宮部みゆきの『火車(かしゃ)』を購入。
Amazonで中古で買った。29円ですごく安いなあと思ったが、送料が1冊に対してかならず390円かかるのは如何なものかと思った。
*劇団四季の『キャッツ』を見に行く。あまりミュージカルには興味がなかったのだが・・・『ライオンキング』を面白く観てから、食わず嫌いはいけないなあと思った。
*最近、映画を観ながら寝るクセが加速気味である。
緊張感が足りないのかな・・・
- [2005/10/13]
連休は帰省。
帰省のたびに、田舎は空が大きいなあ。
などと少々感傷的な気分になる。
いやまあ実際、でかい。
色々な意味で充実した数日間を過ごす。
移動や待ち時間の暇つぶしに、
宮部みゆきの推理小説、『理由』を読む。
(2004年に映画化されているようだ。)
面白かった。
取材力や構成、文章力など、すごい。
犯人についてはその凄さが及びきれていないのは、死人だから?その点も含めて取材の限界だろうか?
あるいは、アニメのような存在・・・と表現された、そのままの人間だったのかもしれないな。
しかしまあ、『火車』『模倣犯』ぜひ読んでみようと思った。
- [2005/08/17]
賭博小説の研究家を目指す小生。森須博の『神はダイスを遊ばない』を古本屋で見つけたので、購入。
内容はカシノを舞台に、自らを主人公としたノンフィクション。題名がすごく格好良いなあ・・・と期待したのだが、空振り。カシノがどういうものかというのはよく分かる。だがあまりにも人物描写が軽薄で物語も陳腐。少しの高揚感も感じられなかった。
高揚感、つまり、賭博小説の醍醐味というのは・・・思考能力という防波堤が、情動の波にのまれる瞬間、すなわち抗えぬ破滅に浚われていくなかでの心理の不可解さにあるのだ。
本作の登場人物中では、トラウマを抱えた美人のミリーがその役を担うのだが過去にこういう辛い経験があって動揺しました。以上の内容は無い。不可解さと言う点で、強いて探せば、車を故意にぶつけるというジンクスをもった投資家が勢い余って死ぬ。そんな話ぐらいなのだが、それは物語の本線とはほぼ無関係。
だからこの本は、昔カシノでよく遊んだよ。的な自慢話を酒場で聞くことと変わらない、良く言ってルポルタージュなのだ。
というわけで、ブックオフで売る本用の箱にしまうことにした。イーブックオフ
は30冊から、ネットで引き取り売却ができるので超便利。
評価:★★☆☆☆
ref. nyats.com 『ギャンブル小説』
- [2005/07/06]
最近、暇つぶしや休憩時間に池波正太郎のエッセイを読んでいる。特に料理に関するもの。『食卓の情景』『私の歳月』『池波正太郎の食卓』など。
小生はあんまり池波正太郎は好きではない。たとえば、「三代住まなきゃ町には馴染めない」だとか、ものの見方が狭小な感じがするからだ。
ただ、価値観が狭小で頑固であるということは、すなわち、己の世界観を確固たるものにし易いであるということでもある。だからこそ、江戸を舞台にした小説をあれほど執筆できたのだろう。
つまり池波が好きな人というのは逆にそれが魅力なのだ…と想像する。
それで思うのは、池波も、それを愛好する人も、いま「オタク」と呼ばれている人たちと根本的には似通った性質だ、ということだ。
それを最も強く感じたのは、『私の歳月』で、フランスの名優ジャン・ギャバンを空想で登場させたあげくに初対面だがこれほど気心が知れるのだよ私たちは。といったインタビューをするという妄想エッセイである。
これが冷静に考えると非常に笑えるのだが、予想通りギャバン像も、己の価値観を披露し賞賛する池波のゴーストに過ぎない。はっきり言って、アニメキャラと空想で戯れる人と大差ない。
まあ池波にしろオタクにしろ、ある価値観を信奉し排他的であると言うことは、良くも悪くも、一つの世界観を作り上げ易いということである。人間理解に対する深い差異が両者にはあるにしても。
- [2005/06/10]
劇団 昴 公演の『アルジャーノンに花束を』を千石、三百人劇場にて観る。主演は平田広明(昴)。漫画『ワンピース』のサンジ役の声優もやっているようだ。見たことは無いけど。
原作が超有名な小説で、当然、俺も読んだことがある。あらすじ自体は難しいものではないから、よく憶えている。その記憶と照会すると、この舞台では原作に忠実なものだった。こういう場合、退屈に感じる可能性が高くなる。
だが平田や両教授役の石波、田中、また父親役の水野らの卓越した演技力で退屈はしなかった。
その他の役に関しては、ちょっと演技過剰なところが鼻について、あまり感心しなかった。昔、演劇の芝居って嫌だなあと感じてたあの大仰さ。役者の年齢が若い所為なのだろうか?
またセット自体は質素なのだが、舞台上の演出も過剰。特に最悪だったのは、階段ばかりのセット。あんな風だと、役者が踏み外さないように下を見てしまう。それに気が付くと、観客の方も落ち着かない。
そのセットの様相が迷路を表しているのだろう。だがその演出によって芝居全体のクオリティを下げている事が「演出過剰」なのだ。傲慢とまでは言わんが。
さらに記憶のフラッシュバックで黄色のライトの明滅が強すぎる。
舞台上の制約もあるかもしれないが、こういう演出のあか抜け無さは全体的に昴にある弱点のような気がする。まあそれが特徴なのかもしれんが。
ともあれ、舞台までの距離や演技力を堪能できて、満足した。こないだの『羅城門』よりかは随分と良かった。
評価:★★★★☆
- [2005/05/05]
浜松町の四季劇場にて、劇団四季による「ライオンキング」を観る。
かなり今更感が強い。2年前に一度、誘われたのだが、そのときはミュージカルというものに抵抗があって断ったのだ・・・。しかし、今年は、「ブレイクスルーマイセルフ」というテーマにより、観劇を決行した。
結論から言うと、2年前の自分を撲殺したくなるほど、感動した。表現、そしてそれに関わるクリエイティビティの真価というものを見せつけられた心持ちである。
また、個人的にかなりモチベーションを高揚させられた。多少なりとも想像力を用いる仕事である人はすべて必見であるといえる。
ちなみに、劇団四季のことはよく知らないのだが、演出は浅利という人が(たしかこの劇団の創立者だかなんだかの気がする)ほとんどやっているらしい。
つまり、原作やシナリオはほかにあって、「ライオンキング」もそうなのだが、これを表現する創意というものが半端でなく素晴らしい。稀代の才能だな、と確信した。
ちなみに同行したHは2年前に観たのだが、その時から加えられた演出もわりとある、という話を聞いて、これまた素晴らしいと思った。
まあ「ライオンキング」のストーリー自体はなんということもないが、一度観てみる価値はある。
ちなみに、入場時にもらったカタログに、あの福田恆存(劇団「昴」の創立者である)が脚本を書き、劇団四季が公演した「解ってたまるか(68)」の情報があった。再演されるらしい。
>この作品は、一九六○年代に起きたライフル射殺犯による籠城事件に想を得て、福田氏が初めて実際の事件を劇作化したものです。(カタログ序文より)
それも劇団昴の役者を多数取り入れて公演されているという。これが観たくてたまらなくなった。
>実際我慢がならないね、
>近頃は何かにつけて話合ひだの対話だのと
>尤もらしい事を抜かしやがつて、
>世の中が万事かう物解りよくなつてしまつては、
>張合いも何もあつたものではない・・・・・・
>まだ解らないのか、おたんこなす、
>俺はその「解る」にレジスタンスしてけふまで生きて来たのだぞ!(略)(4幕)
- [2005/02/28]
今号のNumberは、身長の低いスポーツ選手にクローズアップした内容で面白かった。スポーツ選手はたいてい、並ならぬ努力をしているが、小さい選手はさらに工夫を重ねて存在感を得ようとしていることが分かり、うーんと唸った。
スピードスケートの清水選手の写真も掲載されているのだが、足の太ももが極端に筋肉でふくらんでいる。スケートスーツを着ていることもあって、CGで描かれた人間みたいですげえ驚いた。
あと早稲田大学ラグビー部の清宮監督のインタビューも良い。ラグビー好きは必見。
いったい、Numberには色々とスポーツに対する関心を育てて貰って感謝している。F1なんぞ昔は、ぐるぐる同じコースを廻って何が楽しいんかい。と思っていたが、佐藤琢磨の出現もあって、いまは凄く楽しい。
コンマ1秒にかける、文字通り血のにじむ努力。
また、マラソンもそう。瀬古監督の土を食べる話など、特異な伝説というのは、ある世界を極めたヤツにだけ産まれるものなのだなあと思った。一般人ではナカナカ供し得ない。
しかしリンク先を見て貰えれば分かるように、ここまで雑誌の内容をWEBに無料掲載するというのは凄いなあ。このWEB掲載によって購読に結びつけるとするならば、このビジネスモデルといったら大げさだけど、やり方は、記事に自信があってこそ出来ること。偉いな。
そういうNumberのことをある女史に話したところ、以降、愛読するようになって、仕事やプライベートでもスポーツの話についていけるようになって株が上昇したりしてた。
話の引き出しが多いというのは良いことだね。と思った。
- [2004/11/17]
ドストエフスキーの『悪霊』をやっと読み終える
。
ああ、振り返ると、読み終わりまで2ヶ月もかかったのか。
この期間で印象的なことは、わりかし退屈だった1/4までと、ニコライとピョートルが登場する残りとでは、全然、読むペース(つまり読みたいという欲求)が違っていたことである。
そりゃドストエフスキーだって、ニコライが登場してきた中で、物語を書き換えようと思うわけである。
それにしても、この長い話、一度読んだだけでは、半分も理解出来ていないだろうと思われる。
だいたい、名を覚えるだけでも一苦労するのに、苗字で描写しているところもあって、ロシア人の名を2倍覚えなければならなくて、苦労した。え、ヴェルホーヴェンスキーって誰だっけ。とかいった様。
名前だけでなくて、登場人物が持つ思想もまたむずかしい。
だが、決して楽ではない読書にも拘わらず、もう二度三度読みたいと思わせる。
善悪の観念が無く、愛情も感ぜず、しかし強力な肉体と美と知を持つ青年。その男に複雑な感情を持ち、政治的野望のために滑稽なほど残酷になる男。
という風に、まあこれにとどまらず、とにかく登場人物がやたらめったら魅力的で、かつことごとく破滅に向かうとなると、俺のような単純な読者はスルスルと引き込まれるのである。
- [2004/10/28]
300ページ目までは、退屈な描写が続いて難儀だなあと思っていたのに、急激に面白くなって、上巻の終いまで夜を明かして読んだ。久しぶりにそう言うことをしたような気がする。
- [2004/10/17]
WEBでよく読むのが、『Number』。
『Number』はスポーツ雑誌であるが、その一部がWEBで読むことが出来る。
インタビュー中心の記事が多く、そうでなくても取材がしっかりしていて、読み応えがある。しかも色々なジャンルのスポーツ記事が読めるのも、半可通の俺なんかには嬉しい。
そういうことがWEBでもよく分かるので、今は殆ど雑誌を読まなくなったが、これは次第と興味が募り、読むようになった。
まったくNumberの思うつぼではある。
まあ年間購読したって、13,000円程度である。そんなものは一晩の麻雀の負け程度である。それよりかずっと良い。
そういえば、雑誌も読まなくなったが、小説はもっと読まなくなった。それではいけないと、昨年は三島由紀夫の著作を、文庫本はすべて読んでみたが・・・今年はそんなペースは無理だった。
今はドストエフスキーの「悪霊」を読んでいる。
二週間かけてやっと前半の半分を読んだ。翻訳がいまいち合わないというか読みづらいのもあるが、物語自体は面白い。
遅読は恥ずかしいのだけれど、一日30分でも、読書の時間を持っておきたいと思う。
- [2004/09/28]
よくインターネットではハンドルネームというニックネームを付ける。どういう風な名前を付けるかは人それぞれだろう。
俺の場合、アナグラムっぽいというだけで、大した理由はない。だからつまらない。そこで、変えるとしたら、「スチェパン」としたい。
スチェパン、それはロシア人である。
このロシア人について知りたければ、ドストエフスキーの「悪霊」を読むと良いのだが、一文を引用する。
「やっと一週間か、一月、時には半年くらいたってから、何かひょっとした弾みで、自分の手紙の文言が頭に浮かび、つづいてその全文と、当時のいきさつがすっかり思い出される。と、恥ずかしさに全身燃えるような心持ちがして、ついには持ち前の疑似コレラめいた発作を起こすほど煩悶する。」
おれ自身の手紙については、過去の記事
を読めば分かるとおもう。
手紙なんか二度と書きたくない。
- [2004/06/22]
小説 『スペードの女王』を読み終えた。ロシアの詩人、プーシキンの短編が収められた文庫である。
読み終えた後に思い出したのは、以前見た映画、『EYE WIDE SHUT』
である。
つまり、要するに「幻想と現実との微妙な交錯と対照を生命とするところのいわば写実的浪漫主義の極地」(池田健太郎、1967)ということである。
とりわけて、『スペードの女王』、『ベールキン物語;「吹雪」「葬儀屋」』にそういった要素が強く感じられた。
- [2004/04/08]
こないだ千葉のマザー牧場がテレビで流れていて、菜の花畑が一面に拡がっていて、とても綺麗だった。
『風景』 -純銀もざいく-
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
山村暮鳥 『聖三稜玻璃』より
- [2003/12/14]
養老猛の「バカの壁」がよく売れている。
小生がこの人の著作を初めて読んだのは、8年くらい前である。その当時は、友人の一人と競うようにして本を読んだ時期であるが、そのときその友人が話題にしたのがきっかけで、読んだ本が「唯脳論」である。
わりと極端な主張と、それとは対照的に具体的な内容のある本で結構オモシロイなあと思って読んだ記憶がある。
「現代の社会、とくに都会では殆ど人間が考え出したものの中で生活している。だから脳の中に生きているといえる」とか、「明日雨になる。という事がわかっていたとして、雨が降ることと明日なにをするかということは別の話である。」とか「国家というものは土とヌエ的なものである」とかいうくだりは今でも憶えている。
それから何となく、著者の本はほとんど読んだ。今でもたまに暇つぶしとして見返すときがある。しかし、その新刊は買っていない。正直、売れているから、という理由だけで何となく読んでいない。多分小生の性格があんまり素直じゃないからだ。まあそのうち、読んでみようと思うけれど、流石に今までの本を殆ど読んでいると、タイトルを聞いただけで、なんとなく中身が想像がつく。
そういえば、年の離れた兄妹の言っていることがあんまり理解できない。明らかに、壁、があると思われる。どちらかがバカじゃなければたとえ一方通行でも理解できるのに、どうやら揃ってバカ兄妹であるようで、飛び越え難き壁があるようである。その壁は時代とか生活とか、環境というもので作られているから、小生一人がなんとか壊そうと思っても、小生が兄妹の頭の中のスイッチを繋ぎかえることが出来なければ、壊し得ないものである。
しからば、小生が自分自身のスイッチを新たに作るしかないか。とりあえず携帯にカメラでもつけたりしてみれば良いかしらん。
ただし民家の解体は土建屋でも金にならんが、脳の壁の解体はそれこそ一円にもならんなあ。と思ってすげえ億劫である。
- [2003/10/06]
三島由紀夫の豊饒の海シリーズを読み終えた。なんだかスケールの大きな話である。松枝清顕の転生が黒子という共通の、変わらぬ記号で示される。そしてその転生の人物たちは根本的には共通している。それに対して彼らと深くかかわりを持ち、見続ける友人、本田は一人の人間として生き続けるけれども、精神的な変化があって、その対比が面白く思う。
どうも三巻の月光姫が他の巻の転生した人物に比べておざなりに、というか魅力無く描かれているところが多少物足りなかった。清顕や勲が死を濃く求めていて、それに向かう過程や実際の死の場面が描かれているのに、月光姫はタイに帰って死んだと言われている、と伝聞の形でしか語られてないし、そもそも死を感じさせるような気配があんまり無い。
それ以外では特に不満を感じることは無かったのだが、阿頼耶識とか言う仏教の難しい論理が物語の基調となっているので、理解したほうがより物語に親しみが出ることは間違い。しかし小生のような宗教に何のかかわりも無く生きてきた人間には少々難しい。長い文章で説明してはくれているのだが、所詮きゅうりの輪切りがぐるぐる回るぐらいの理解しかしていない。残念である。
ともあれ、特に最終巻の安永透という人物で描かれた物語はとても面白かった。透は本物か。彼は死ぬか。門跡の記憶の欠損は本当か。色々と推理させられる。
さて三島由紀夫の作品はこれで8割方読んだことになる。一番良かったのは、「鏡子の家」である。
- [2003/06/25]
劇団昴の「怒りの葡萄」を見た。とても良かった。この劇団の芝居を見ると、演技力とは、また生の迫力というものは何かがよく分かる。
簡単言えば、演技力とは感情表現の伝達力である。演劇では多少オーバーアクトにならざるを得ないが、それを差し引いても、この劇団の場合、十分に純化された感情が伝わってくる、そして観客に、その人物の感情と同じような感情を、あるいはまた全く逆の感情を呼び起こさせる。心の奥底に静かに湧く感情の泉へと、観客を連れて行ってくれるのである。
生の迫力というのは言葉が漠然としているが、要は、絵画やブラウン管を通して見る感情の表現はいかに優れていても、こちら側からその演じている人物に声をかけようという気は起きない。
もちろんさまざまな感情を抱きはするが、だからといって絵画やテレビに「切ないよ、あんた」なんて言っている人にはお目にかかったことが無い。
しかし、演劇のようなものは、つい言葉をかけたくなる気持ちを生じさせる。そしてそれは当然、やってはいけないが、しかしやろうと思えばやれるものである。そこでその自分の気持ちを押し殺す必要がある。そういう心の動きは生の舞台でしか生じない。
実際の人間がある感情を表現するとき、観客の心に生じる感情の相互作用への欲求、これが生の迫力であると思う。
さて、今回の芝居は演出が非常に良く出来ていて、メリハリがあった。この演出はジョン・ディロンという人で、実は休憩中、すぐ前を歩いていたのだが、そのときは「違う言語の人が見にきてるっていうのは芝居が本物ってことかなあ、大したもんだ」としか思わなかった。
ただし他の言語の人が演出した芝居を見てまたそれを全く意識しなかったのは、芝居が本物ってことで、いずれにしても対したもんだと思う。
- [2003/06/13]
本の紹介はひとつ先送りにして、昨日、新国立劇場に三島由紀夫脚本の芝居、「サド公爵夫人」を見に行った話を書く。その感想としてはまあまあ良かった、である。
役者のせいか演出のせいか脚本のせいか、舞台の進行が一本調子で単調なところがあったのが残念である。舞台と客席の距離が大変近く、そのぶん普通の芝居よりも緊張感がずっとあって当然なはずだが、それが弛緩して挙句にうつらうつらしてる姿がみられた。かくいう小生も、2,3度睡眠世界に旅立った。
三島の脚本は文章であれば美麗でありまたウィットに富んだものである。しかしそれを実際に科白として読み上げると、ともすれば冗長になる。このあたりは役者の力量で、声量や声質によって陰影をつけていく必要がある。その点で、納得いかない演技が多かった。
ルネの母親はあんな激情的な風に喋っても良いのだろうか。王家と血縁続きになるために娘の結婚を政略的に謀り、一度その夫が狂人だと分かるとこれを政治的な方法で幽閉しようとした、tax officerの妻である母親。これらの事を考えると、どうしても冷静で狡猾な人物像が思い浮かぶのだが...その母親が一本調子で怒鳴ってばっかりだと深みが足りなくてつまらない。
また、声の出し方は必然的に表情にもかかわり合う。大声で叫ぶときに冷静な顔をすることは骨格・筋肉上からも無理であるように。ルネの母親はあまりにがみがみ怒鳴るようにしすぎて喋っていたし、公爵夫人も抑揚が人工的であった...つまり二人とも単調な、芝居がかった演技であった。
それとは対照的に、召使役と、サンフォン伯爵夫人の役はとても素晴らしい。科白の喋り方に自然な抑揚があって、かつ非常によく通る声質である。であるから当然、この二人の顔に浮かぶ表情もごく自然で多彩なものであった。
演出についても首をかしげるところがあった。一幕と二幕の間にわけのわからん音楽が大音量で流れたのには唖然とさせられた。
最初に活字で作品を体験すると、自分の頭にはその作品の世界に対する独自のイメージが生まれる。だからその後に芝居を見ると、どうしても違和感が生じる。
その生じた違和感を一つの解釈として観客に受け入れさせることが、舞台が成功したか否かを図る一つの基準であると言えるだろう。
その点で、残念ながら今回の舞台は完全に成功したとはいえなかったように思う。
- [2003/05/18]
三島由紀夫の豊饒の海のシリーズ、一巻がずっと貸し出し中になっている。仕方が無いので、次に読みたかったジェイムズ・エルロイのLAコンフィデンシャルを先に読む。和訳のレベルが低いので、読みやすいとはいえないけれど、作品の面白さとしては文句のつけようが無い。
一つの物語を作り、それを分解することによってミステリーは産まれる。俺はそう考えている。その分解の仕方において、LAコンフィデンシャルは完璧かと言われればそうではなく、都合のいい登場人物が二人いる。しかし、もとの一つの話が面白いので、十分に楽しめる。
この作者は若い時分には暴れん坊で、かつまた母親が何者かに惨殺されると言うとてもハードボイルドな人生である。その経験を作品に反映させるというのは、強靭な精神力が無ければ出来ないと思う。
映画も面白かったが、友人に言われたとおり、小説のほうがずっと面白かった。皆さんもぜひ読んでみるといいと思う。
- [2003/03/18]
本はまだしつこくずるずると読んでいて、「金閣寺」「永すぎた春」を読んだ。前者は奥深く入り組んだ青年心理が良く描かれていて、何度読んでも飽きがこない気がした。柏木がとてもリアルな存在だと思った。
後者は「潮騒」よりももう少し世俗的で現実的な恋物語である。僕は解説者と違って、百子の兄は純粋に恋に破れたと感じたのだと思う。雲の上人とか、小説を破いたとかいう記述が読者を欺くためだけに書かれていたのでなければ。
- [2002/11/14]
本日、とある人よりバレエのビデオを借りて見た。バレエは舞台で5回、VTRでは20回ほど見ているのだけれど、今日見たバレエはいわゆる「プロットレス・バレエ」というもので、クラシックバレエからストーリーを除いた、純粋な舞踏としてバランシンという人が始めた踊りである。
こういうバレエは振付師の力量が本当に問われる。踊りを見て何かを考えさせるような抽象的純粋舞踏では全然駄目である。その動きに圧倒され、言語を超えた音楽的な何かを感じられるような踊りでなくてはならない。生半可な振付師がやると、退屈で目も当てられないものとなる。
今日見たバランシンの作品は本当に素晴らしいものだった。舞踏においてストーリーは踊りの表現力にプラスアルファを与えるが、逆にそのストーリーによって表現の制限があるとも言える。しかしストーリーの無い、最高の舞踏の場合はその制限が無くなり、とてつもないスケール感を醸し出す。
それはDNA/RNAの自己複写のようであり、根を伸ばす木のようであり、大海を泳ぐ魚のようであり、強風吹き付ける嵐のようであった。すなわち、宇宙を感じさせるようなものであった。
- [02/05/05]
先日東京国立近代美術館にカンディンスキー展を観にいきました。どうもこの画家は具象世界を線のリズムによって抽象的に再構築することが特徴だと思います。線のリズムとは、抑揚を思わせる線幅の変化、同じラインを複数連ねていること、中央に集中する構図などだと思います。
が、リズムや躍動感は音楽で表現するべきであり、中途半端に具象が登場したり、どう考えても彼自身や研究家の講釈を教えられないと理解できないような絵があったりと、そういう点ではあまり好みではない画家でありました。第一、「対象が私の絵を損なっている」などと大言壮語するのは勝手ですが、その絵を見ると、そういう言葉はただ気恥ずかしく響くだけでございます。
それでもコンポジションシリーズはやはり凡人では描けない作品であり、カンディンスキーはやはり黒色の線に特徴があると思いました。
しかし常々思うのですが、どうして絵の専門家、学芸員はまともな文章がかけないのかと思います。画家やその作品を分析したり、歴史の中での文脈を述べることには問題ないのですが、その裏づけ、説得力となる文章が全く無く、ちょっと難しい単語を無理して使った中学生の感想文以上のものにはどうしても思えないのであります。
- [02/01/10]
年末から年始にかけて、立花隆の「臨死体験」という本を非常に面白く読みました。人間が死に瀕したときに生じる臨死体験ですが、なんとなく死に対する人間の脳の防衛機構なのかなあという感じです。死後の世界などというものは全く信じていない小生ですので、そのように理屈をつけようとするのですが、半面、ひょっとするとやはり死後の世界というか、意識の連続性みたいなものもあるのかも知れないと心の片隅で思っております。
じっさいに体験してみたいという好奇心はかなりあるのですが、いかんせん臨死です。
強力に怖いです。
- [01/11/08]
先日上野美術館のMOMA展に出かけた小生ですが、もちろん絵画に関するまとまった知識などはもっておりませんので、自生する花を目にするかのごとき鑑賞方法を編み出しこれを用いて見てきました。
Paul KleeのActor's Mask、Pablo PicassoのWoman Dressing Her Hairの二つが、当然専門家の解説とは全く異なった理由ですが、個人的に好きでした。
Actor's Maskは画面底辺に書かれた茶色の線が大地を連想させて、実際のキャンバスは小さいのですが、とても大きなスケールを感じさせました。
Woman Dressing Her Hair、生きている肉体は動きを伴うために軽さが感じられるものですが、ここに描かれた肉体は活動しない、静止した、純粋に物質としての質感が圧倒的に表現されているものだと思われました。
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