GWのプラン
01/04/18
もうじきGWでございます。今年は取り方次第で超大型連休になりますので、諸賢らも色々と過ごし方を考えておられるかと思われます。小生、昨年は伊豆へ出かけ、勢いあまってあのペリーが来航した下田まで足を伸ばしてしまいました。今年は軽井沢を拠点に、信州を廻るつもりでございます。蕎麦や馬刺しなどを食べ散らかし、地の酒を飲み干しながら、車でぐるぐるとドライブし、どこか湖でバス釣りでもやってのんびりと過ごすことを計画中でございます。
しかしまあ、旅に関する商業誌なんぞはあまりに露骨に商業的過ぎ、ろくな情報がございません。たとえば、近代的なだけでサービスもまっとうに出来ない旅館、まずい料理を高値で食わせる料理店などでも、紙面を埋めるため、あるいは広告をそれらの店が出す場合は躊躇無く褒め称えます。ずばりチンカスです。
そこで、こういうときにこそインターネットでございます。
個人サイトなどは、見栄えは素朴なもので、また情報量としてはかなり小さく、また断片的ではありますが、そのようなサイトは数多くありますから、時間さえかければ総量としては大きなものとなります。そこで自らエディターとなってプランを練ると、商業誌なんぞとは比べ物にならないほど充実した情報を得ることが出来まして、旅そのものも充実したものとなります。
アジ
01/04/17
最近の感動といえば、河豚で有名な某都市にて鮨をご馳走になったのですが、大衆魚であるアジのにぎりの美味しさに、小生、まったく驚嘆してしまいました。アジの握りで感動するということは、小生がまったくの馬鹿か、あるいは真の奇跡だと思われます。
どのように美味しいかということは筆舌に尽くしがたく、同時に、その味覚によってしばし呆然となってしまったため、諸賢らにお伝えすることが出来るのはそれが塩を軽く振って食べさせる握りだということだけであり、大変申し訳なく思っております。
ところで、アジがもっとも美味かったなどというとずいぶん底の浅い人間に思われるかもしれませんが、そのような見栄格好で美味いものが食えるわけではないし、それは己を不幸にするだけである、というのが小生の信念でありますから、まったく意に介しません。小生の感動は常に相対性を拒むところに存在するのであります。
短絡行動
01/04/16
短絡行動がどのようにして生じるのかという疑問に対して、ひとつの概念といたしまして、大脳生理の防衛機構という考え方がございます。
つまり、大脳が処理できる量よりもはるかに膨大な情報があるとき、それに対していちいち論理的に思考を行っておりましたら、脳の限界を超えてしまいます。よって、情報の選択を行い、量を減らすことと、論理的思考過程を省略することで対処いたします。
これが適切に行われない場合---重要な情報を飛ばし、また、論理的思考をやめ、行動すること---これが短絡行動の概念だといえるでしょう。
なお、小生といたしましては、その他にアルコールなどが考えられると思われます。その証左に、アルコールが小生の体内に侵入いたしますと、仮に、目の前に女性が下りましたら、すぐに接吻を執り行うべしという命令が大脳生理より防衛機構のひとつとして下されるのです。
けっこう、危険です。
参考文献:立花隆著「文明の逆説」 講談社文庫
モルタル書店
01/04/11
購入したい本が決まってある場合には、大きい書店ほど探すことに手間取り、それだけで疲れてしまう場合が多いのです。もちろん、店員に尋ねれば探してくれるのでしょうが、まったくの他人である店員に、小生の三等兵的書籍趣味について何か感想をもたれるのでは、というオソレがありますし、また、店員が不足していて対応できない場合もございます。
この探し出す手間というのは、ほとんどの書店が例外なく、物理的な制限により、出版社別か、ジャンル別にしか分類を行っていないという点に原因があります。
小生のように、なるだけ一人の作家について知ることを読書の基本的方針としている場合、このような分類は百害あって一利なしでございます。
その点、さまざまな点から検索が可能なオンライン書籍サイトは、革命的に便利なものです。将来、このようなサイトで、立ち読みシステムを提供さえしてくれれば、モルタル書店は直ちに消滅していただいても一向に差し支えないと感じる今日この頃です。
モルタル書店の破壊とデータ書店の創造。言葉の大げさな響きにだまされず考えてみれば、IT革命とはこのようなことではないでしょうか。
天才児
01/04/07
天才児というものは本当に存在するらしいです。
ちょっと信じられないのですが、アメリカでは生後八ヶ月で文字を読み、三歳で小学五年生レベルの本を理解し、五歳で高校入学、十歳で大学を卒業した人がいるらしいです。ただ、天才児の中には、成熟してからバスの時刻表をひたすら暗記することに熱中した方もいるようで、なんだか考えさせられてしまいます。
小説なんかには、天才と呼ばれる人が神の存在に気づいて、精神に若干の破綻をきたすなんていう話がよく登場しますけれども、頭がのよさと精神的な成熟度はまた別であるという当たり前のことに今更気がつかされます。
俺は馬鹿でも気持ちのいい奴が好きであります。
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