特上カルビ
2002/06/29
肉さえ食べていれば人は生きていけるのであると頑なに信じ込み、今日こそは一片の容赦もなしにこの世の肉という肉を喰らい尽くしてやるという意気込みで焼肉に出かけ、情け容赦なく散々に食い散らかした後でデザートのアイスクリームで燃焼活動まっさかりの胃袋を慰めて、まったく愉悦に浸る小生でありますが、本日は久しぶりに2500円の特上カルビにありつくことが出来たのであります。一切れ500円、一切れで照り焼きマックバーガーセット。恐ろしいのは松坂牛かマックであるか、もはや冷静に思考することすらできない状況でありました。
ところで焼肉と僅差で好物ランキングの次点を死守するのがトンカツでありますが、トンカツといえば、なにかの漫画で、「学生さん、とんかつをね、食べたいときに食べられるようになりなよ。それが偉すぎもせず貧しすぎずもしない、ちょうど良い生活ってもんだよ。」という科白がありました。まさに金言でございます。
シューニャ
2002/06/26
俺は最近、出会ったらグーでぶん殴りたいと思う奴がいる。それはお前らである。何が頭に来るかって、人がせっかく移転した際に変えたデザインに、お前らは情け容赦なく酷評をよこしやがる。悲しい事実であるが、とてもいいと評価する奴はゼロだ。ゼロ。すなわち無ということだ。インド人が夜空に輝く星を眺めて梵天を考え、シューニャといった、紛れも無いそのゼロである。
俺はこのデザインのために、撮影した写真の中からわざわざ選りすぐりの一枚を提供したというのに、俺の心お前ら知らずである。
感情的な分の楽しみ
2002/06/24
俺はサッカーの試合そのものが楽しいのであって、どこが勝とうが負けようがまったく気にならない。もちろん贔屓のチームがあるほうが、感情的な分の楽しみがあるということは知っている。しかしこと負けを喫した場合、その感情はすぐに不平不満や妬み、憎悪へと変わるようだ。
そして始まるのは戦犯探し、伝聞による人格攻撃、ジャッジへの不満であるが、それらはまったく俺の趣味ではないし、心底くだらないと思う。だからそのような楽しみは要らない。
俺はそういうものに心の底からうんざりしてしまったので、サッカーについて書くこと、そして書かれたものを読むことは二度としないと決めた。
逆説の愛
2002/06/23
先日、ビリヤード場にめずらしく家族連れのお客さんが来ていたのである。両親と、中学生くらいの男子、小学校低学年の娘さんの四人で楽しまれていたのである。なんとなく微笑ましくなった小生は、それとなく彼らを見ていたのであるが、子供が両親によく似ている。子が親に似るのはあたりまえであるが、はっきりと父親似、母親似とわかるのである。
ただしこの両親、お母さんのほうはわりと美形であるが、オヤジがムッサリとした垢抜けない顔立ちである。そして、中学生の男子が母親似で、今風の顔立ちをしており、女の子のほうが親父に似ているのである。人間は顔ではないという奇麗ごとを抜きにして言うと、これは両親のミステイクである。
ただし俺は見ていて思う。その不細工でじゃがいもみたいな女の子はなんとなく愛らしい。妙味がある顔というのはおかしな表現だろうか。とにかく、容姿にまだとらわれない年頃のせいであるか、えへへと笑う顔が純粋である。両親がその子を見つめる眼も、また愛情豊かなものである。大変失礼ながら、出来の悪い子供ほど可愛いという逆説が、何となく分かる。
小生もこういう不細工で可愛い、笑う顔がジャガイモみたいな子供が欲しいと思う。
価値基準
2002/06/23
お金というものはとてつもなく客観的な基準であるから、収入や扱うお金というものが、その人物を図るひとつの手段であることを否定するつもりは無い。けれども、それに頼っている人間は、ひとつの基準でしか己を語れないということだから、これは大変寂しいと俺は思う。
また、お金を多く稼ぐ人間はそれだけお金に縛られるようになるものである。大企業が利益を第一として活動し、悪いことと認識しながらもそれを行ってしまうということはよくある話である。
先日は大学時代の友人たちと久しぶりに飯を食べた。小生は三流大学の出であるが、彼らは一流大学の出である。俺を除いた出席者の全員のサラリーを合計すると1億円は突破してそうである。はっきり言って不届きな奴らである。
こういうことを書くと、さも俺がすごい友人を持っていて、つまり間接的に俺自身について自慢をするように思われるだろう。いや、自分の友人についてしゃべる奴はたいていがそうであるから、そう思われても仕方が無い。
ただし小生の一番の親友は貯金が無いことと、借家にテレビの電波が入ってこなくてスカパーに加入したことが自慢である貧乏サラリーマンである。小生が彼を好きな理由は、彼が自分を表わす基準を多く持っているということである。
それはタバコをポイ捨てしないとか、電車は座らないとか、はっきり言ってどうでもいい些細なことである。けれど少なくとも、お金という価値基準が少年少女までを支配し、あまつさえ殺人にすらいたらせるこの寂しく不毛な世界で、それに抗うかのごとき別の基準を自らが設けることには何かの意味があるような気がする。
かつ、大そうな、立派過ぎる信念というものは他人を傷つける場合が多い。くだらない信念だなあと人が笑えるくらいのものが、穏やかで良い信念ではないかと、俺は思う。
土中の微生物
2002/06/22
日本がワールドカップで惜しくも敗退したのである。小生のように心がガラスの糸細工で出来ているナイーブな輩はまだその悔しさから立ち直れずクヨクヨし、日に3本のビールを飲んで酔っ払って気が付いたら朝を迎えておるというのに、婦女子はすでにベッカムひとつに狙いを絞り込んでいるらしい。
同じイギリス人でもベッカムと等しくチャーミングなローワン・アトキンソンがいるというのに、まったく呆れた、許しがたきミーハーさである。
俺は思う。確かにベッカムをかっこいいと思う俺がいる。というか西洋人の容姿に対して漠然とした憧憬が在る。なぜあるのか。ここが問題である。なぜ鼻は高いほうが良いのか。なぜ足は長いほうがいいのか。なぜ肌は黄色ではいけないのか。
人は何の価値観も持たずに産まれてくる。だから絶対的な美などは無いと思う。育っていく中で、テレビか、映画か、美術の教科書かで西洋人に対する容姿を優れたものとして教え込まれてきたのだろうか。小生個人に限って言えば、中学生のときに色目を使われた英語教師、ミズ・グリーンの仕業であろうか。むずかしい。だけれども、いずれにせよそんな与えられた価値観はありがたくもクソも無い。小生はこの価値観からは自由になりたいと思う。
また俺は思う。ベッカムは格好よいしサッカーは出来るしお金も在る。パーティーを開けば酒代だけで2000万円使うような奴である。ピンクドンペリ1000本である。飲みすぎである。時空を越えた羨ましさである。
しかし権力を握る人間はその代価として相応の孤独にさらされる。友人とビタビタに酔っ払ってこけて坂を転がり落ちるような真似は出来ない。酔っ払って逆流しているときに、友人が背中をさするがその速度が速すぎて逆に気持ち悪さが増長し、逆に怒って友人を蹴ることも不可能である。
そう考えるとベッカムが大木としたら土中の微生物以下のような今の小生もまんざらではないと思い直す。
真実
2002/06/21
小生はその番組を見たわけではなく、ニュースでしか知らないのですが、重度の障害を持つ少年が、それにもかかわらず他人とコミュニケーションをとり、また詩すら書くという番組があったそうです。そしてその真偽について色々な問題があるようであります。
肯定派、否定派、それぞれに言い分があるでしょうが、ともかく、何か物事を伝聞した場合、最初から信じ込んだり否定したりする態度は好きではないし、とらないように心がけております。
信じ込むという行為は使う頭の無い動物のような状態だと思いますし、疑い否定する行為は偏見と結びつきやすい状態であるから、等しく理性的ではない危険な行為だと思います。
そこで小生の場合はまず素直に事実として受け入れてみます。当然、感動したとかくだらんとかいう感想が生じますが、それはそれとして、そこから距離を置いた状態で、果たしてこれは「真実」として受け入れて良いものであるかどうかを足りない頭でチマチマ考えていくのであります。
もちろん真実、すなわち完全に客観的に把握された事実を得ることはほぼ不可能でありますから、受け入れるとあえて書いたわけですが、今回に関してそもそもほとんど興味が無かった理由は明確でありまして、脳に障害を抱えた方が創造する芸術はやはり世界そのものの捕らえ方が特殊ですから、良し悪しは分かりませんが、理解できないし興味がないというのが偽らざる小生の気持ちであります。また関係者がその男性の行為についての証明を避けているということで受け入れることも出来ませんでした。
やはり脳というものは世界を認識し構築する唯一のものでありますから、保守・前衛にかかわらず芸術理解の唯一の条件となる、と考えております。
ところで、先ほど挙げた二つの理由で、逆に小生が猛烈にレコメンドさせて頂いているのは、テノール歌手の新垣勉氏であります。
氏を知らないとは蒙昧無知も甚だしい、由々しき事態でありますので早急に対処しろ。
サッカーというゲーム
2002/06/20
今日この話題を避けるわけにはいかないでありましょう、サッカー日本代表、よく頑張ったと思います。プレーそのもののレベルが上がり、見ていて楽しかったし、また列島全体がお祭りのような日々でありました。このような経験を提供してくれた選手や監督コーチ、誘致関係者には心から賛辞を送る次第であります。
今日の試合も全体的にはかなり相手を圧倒していながら、点が奪えなかった、そのぶん小生も残念な思いをしておりまして、もちろん選手はその何百倍も悔しかっただろうと思います。勝負は時の運ではありますが、真剣に取り組めば取り組んだ分だけ、勝敗が決した際にはなんともいえない虚脱感が襲うのは小生にもわかる切ない経験であります。
しかしこれが計算を超えたドラマ、これがサッカーというゲームなのだよと友人に穏やかに諭されまして、残念な気持ちが少し和らいだ次第でありまして、決勝までの試合をまた楽しみたいと思うわけであります。
Jリーグ誕生から10年でここまで進歩したこと、若い世代の優秀なプレイヤーの存在を思うと、また四年後を楽しみに待ちたいと思います。
資産運用
2002/06/18
以前はギャンブルと等しくリスクの背負うものであり、生活に余裕がある人間だけが行っていた株取引がなんだか資産運用とか資産活用という、いかにもポジティブな名前とイメージで展開されている昨今の状況をかなり疑問視している小生です。たしかにローリスクローリターンな金融商品がありますが、どうもタンス貯金を市場に流し、吸い上げたいという証券会社などの思惑が見え過ぎるような気がして感心しません。
保険会社などで会社の資産を運用している人間がどれくらい優秀かを知ると、素人が都合よく運用できると思うことは決して出来ぬのです。
感心しないといえば今日のブラジルVSベルギー線のジャッジメントですが、仕事が終わってビールと飯を食べながらワールドカップを観戦という最近の生活は僥倖つっても過言じゃないです。
憂いを払う玉帚
2002/06/17
サイトを移転するにあたり、コラムのCGIを変えました。以前のCGIはデータファイルの形式上、検索エンジンでHITすることがなかったからであります。
日ごろはサイトを気に入った奴だけが見ればいいさなどとうそぶいておったわけですが、検索のキーワードと当ページが一致するということは、ひょっとすると俺と同じような嗜好を持っている、会えば友人になったかもしれない輩であるとも知れないなあと思ったからであります。
そんなわけでコラムの内容を移植するのに一時間もかかりながら、必然的に読み返すことになるわけですが、なんか俺は誤字脱字が多いなあ。とけだるい週末の午後に一人黄昏るる小生であります。
酒は憂いを払う玉帚。この憂いの黄昏に帳をおろすべく一杯のビールを飲みますが、飲めば飲むほど沸いてくるのはペットへの情熱。ひれかつが最高に美味いトンカツ屋でペットに対する情熱を大演説した休日でありました。
サッカーフィーバー
02/06/16
ジャーに対するリスペクトを胸一杯に抱きながら昨日は飲みに出かけたのですが、新宿と六本木でサポーターという名前の、実はただ騒ぎたいだけという輩の渦に巻き込まれて大変な思いをした小生です。一体何をサポートしているのかはなはだ疑問ではありますが、祭りというものは重要な意味を持つ社会的な催事であるらしいので、小生としてはこういう騒ぎが開催中続いても悪くないのではないかと思います。
そういえば、どこかの総研がW杯の経済効果を4500億円と発表しておりましたが、群集が持っているのはジュースか発泡酒であり、あとはせいぜいタオルとユニフォームでありますから、どうみても阪神優勝の4倍強も効果があるとは思えないです。
むしろ、アルゼンチンを見れば分かるように、サッカーフィーバーはお金のかからないフィーバーであるということがその良さだと思います。
シンクタンクって馬鹿だなあ。
夢装置か夢ぐすり
02/06/11
睡眠中に見る夢というものについて考えると、人間というものが脳によって、いかに大きな割合を司られているのかがわかる。
個人差はあるだろうが、俺の場合は、視覚、触覚、味覚、聴覚はこの順序どおり、かなり現実にせまった体験を、時にはそれ以上のことを夢の中ですることが出来る。夢の中で空を飛んだり、セックスしたりするとこれほど気持ちの良いものは無い。
このとき、脳の中のある部分では、化学物質による電気反応が起きているらしい。しからば、未来にはきっと思うように夢をコントロールできるようになっている可能性が高いと思う。夢装置か夢ぐすりか。果てしなく魅力的な商品ではあるが、媚薬と等しく夢に溺れそうでもある。
そういえばなぜか嗅覚は無い。臭くって臭くって起きたときに鼻が曲がっているということは無い。海馬の中に嗅覚と関係する神経が育成されなかったのかもしれないが、現実は自分のクソにしょっちゅう鼻が曲がっているのに不思議である。特に焼肉を食べた翌日は我ながらこんな臭い物質をよく体内に囲っておいたなと感心するほどの臭さである。
ニヤーンとかわいい一言
02/06/09
俺は猫を飼ったのことが無いので、よく分からんのだけど、猫って甘えたりして懐くのだろうか。食後にぼうっと寝転がって一服している小生の胸元にのってきたりしてニヤーンとかわいい一言でもあげればこれは最高に至福ではあるけれども、どうもそんなイメージが無い。
ご飯を上げるときも、犬は待てといえば果てしなく待つが、猫はきっとなんで俺がお前の矮小な自己満足のために待たなきゃならねえんだっちうような目をするようで嫌である。養ってもらっている身分でそんな不届きなまなざしをするとは言語道断である。
さらに家出なんかされたら猫にも愛想をつかされる駄目三等兵という烙印を激しく刻印されるようで問題外である。俺のように不出来な人間はまだまだ猫を飼う資格がないと思う。
パグ犬
02/06/06
顔がシワシワでまったく凛々しさのかけらも無いパグ犬。それを貰わないかという話がありまして、最近の小生はぼうっとパグ犬のある生活ばかりを想像しており、ワールドカップそっちのけです。
小生のもてる全ての教育スキルを施した暁には、きつと、オートロックの扉を開け、よちよち新聞を加えてとってきたり、洗濯物をはぐはぐとくわえて畳んでくれたり、指圧をしてくれたりしてくれます。
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