映画 「マイノリティリポート」
2003/07/31
先日、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」を見た。映像はA.I.と何かを足して2で割ったようなものだったが、シナリオは「運命」というものをよく表現していて気に入った。
評価:★★★☆☆(+0.5)
ところで、DVDプレイヤーとテレビを買い換えたのだがD3プログレッシブで映す画像ははなはだしくビューティフォで映画を良く見る俺にとっては満足度がとても高いものである。たまたま家に遊びにきた友達も感動し、帰りになぜか500円を置いて帰ったほどである。
このテレビをあと5年も使っていれば、そのうちプラズマの映像も綺麗になるだろうし、あるいは液晶の性能も上がるだろう。そうなったらまた買い換えたいと思うが、その際はこのサイトを見ているその職業の方から通販で注文するつもりである。ハハハ。
さてコンパイセグンドとはサルサの歌手で、ブエナビスタソシアルクラブというロードムービー(実在したバンドクラブのドキュメントである)で見ることができる。
彼が来日した時にコンサートに誘われたが、俺はなぜか行く気がしなかった。もし俺が彼のライブを聞くとしたらどうしてもキューバで聞かなければならないと思った。あるいは異国で聞くとしても、彼らが長年憧れていたカーネギーホールで聞くのならともかく、日本でなんかは絶対に聞きたくないと思った。
アーティストというのは感情から大きな作用を受けるはずである。したがって良い感情(精神)状態のアーティストを見たいと思う。
彼らにとっては日本というものは彼らの音楽を育てたものに何のかかわりも無い場所である。無論彼らはお金ももらえるし、日本という不思議な国に観光も出来てなんの不満も無いかもしれないが、そういう状況で持つ精神状態の公演を聞きたいとは思わない。
また、映画がスマッシュヒットしたあとにすぐに彼らを招聘するという日本人の行動は何だか非常に短絡的な思考であり、金銭に頼った行動であると思えて仕方が無かったのである。だから俺は絶対に行かないと決めた。
それが良いとか悪いとか言う問題ではなくて、俺自身の思想の問題である。
仮にもし俺が何のために貴方は人生を送るのですかと問われたら、俺はオリジナルな思想を創るためだと答える。それがどれほど行き当たりばったりで整理されてなく、また取るに足らないものだとしても一向に差し支えは無い。金も名誉も墓場には持っていけないし、名前を後世に残すほどの資質も無い。しかし何がしかの思想、ものの考え方を作り上げていこうとする姿、それこそは俺が人間として生存した証として十分に足るものである。その作り上げる中で、また他の人と出会い、相互作用を及ぼしあえたらまたこれは愉快な話である。
PC環境
2003/07/29
最近またパソコンをチョコチョコといじりはじめた。面倒臭くなってほったらかしにしていたTVカードを新しいPCに移し変えて、テレビのアンテナ線の長いものを購入・加工して取り付けた。そしてニュースを流している。
ホームページのニュースでだいたいその日の出来事は把握できるが、「読む」という行為はそれ以外に何も頭を使うことが出来ない。音声による聴覚からの情報は超短時間でインプットされるから他の仕事も行うことができる。イメージ的には1秒を60フレームで区切ったとして、読む場合は60フレームまるまる使うが、聞く場合はその60の狭間の5フレームにピピっとインプットされる感じである。
それからプリンターも、プリンタサーバーに繋げた場合に置くスペースが無かったのでラックを注文し、これを解決した。
また何といってももうじき液晶のDual Displayになるのが恐ろしいほど楽しみである。1280*1024 *2の面積が我が作業スペースとして手中に収まるのである。ブラウザ、メール、IM、TV、オフィス、画像ソフトなどがバシバシっと配置される予定である。
こうやって猛烈に環境を整備したのは最近、友人が引越しをしたのだが、それを手伝ったのがきっかけである。友人が新しい部屋での環境をプランニングしている話に付き合っていくうちに、なんだか俺も妙にやる気が湧いてきたのである。
才能と情熱
2003/07/28
才能とはなんだろうか。自分の体験から考えると、どうも集中力あるいは情熱という言葉が浮かんでくる。
たとえばビリヤードをする。友達同士で賑やかに遊ぶ。それは面白いが、果たしてそのままのテンションで10時間も続けて遊ぶことができるだろうか。きっと飽きてしまうだろう。それはビリヤード自身の底の浅さというものではなくて、ビリヤードの持つ面白さと、それによる自己の快楽を発見できなかったことに原因がある。さらに、それを発見できたとしても、それから理由すらも分からぬ闇雲な情熱の虜にならなければ決して10時間通しの練習は出来ない。それが出来ないほど小さな情熱では決してその道を極めることは不可能である。
このビリヤードというものを他のあらゆるスポーツ、芸術、学問、ビジネスなどに置き換えることが可能だろう。Intelの会長、Andy Groveが言った「頂点に立つためには偏執狂でなければならぬ」という言葉がそれを証明する。
そういう事を、DVDで借りて再び見た「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」を見ながら考えた。彼らが音楽を始めたきっかけは様々であるが、きっとそこには音楽に対して無限に沸き起こる興味と情熱があったであろう。
未完成の感性
2003/07/23
忙しいといっても他人に比べりゃ随分と楽かもしれないが、とにかく仕事が一段落して、暇になった。そのせいか最近、映像をいじりたいと思い始めてきた。もちろん大変だろうから、なにか10分ぐらいのものを一つ作りたいな、と。
スポーツのイメージでも良いし、小説から一章抜き出しても良い(もっともこれは役者がいるが)。あるいは自分で脚本を書いても面白そうだ。すでに構想はある。「TeenAger」というそのシナリオあらゆる社会的ものに対して暴力的な批判を加える、「破滅思考のように思える理想主義」青年の話だ。しかしまあやることがたくさんありそうなので、一年かけて10分の映像を作る気である。
パソコンが仕事の道具になってから、昔趣味でいじってた時に持っていたクリエイティブな感性、それはもちろん相当ショボイもんだが、が失われてるような気がした。こういうことは時間があって、また感性が完成されていないうちにやっておきたい気がしてる。
そういえば俺は映画をかなり見ている。だから頭の中には培われた様々なイメージがある。それにいかに近づけるか、近づけば少なくとも自己満足は得られるような気がして楽しみである。
残酷な暴力
2003/07/14
少年自体の精神なんて奇怪であっても複雑なんていうことは無い。むしろ単純である。周りの環境に大きく影響されながら形成されるものである。
だから、少年が起こす不条理な犯罪の話を聞くと、人間の心の闇というよりもむしろ社会のほうの闇の深さ、複雑さを思い知らされる。
そういえば昔俺が中学生、つまり性的な関心が萌芽しはじめたころ、グラビア誌を買うのですら異様に恥ずかしかった。体中から性的欲求のドス白いオーラが出ていてそれが世界を汚染するような気持ちになって、やたらと罪悪感を感じた。スーパーのレジの中年女性ともまともに目を合わせられなかったものだ。
いまの中学生はインターネットに繋がっているパソコンがあればドギモを抜くような猥褻なファイルがごろごろと置かれていて何の苦も無くそれらを見ることが出来る。
したがって、昔俺が感じたような罪悪感も、また水着の女で股間を膨らますような想像力も得難いと思われる。罪悪感と想像力の両方の欠如は、痛覚を無くした残酷な暴力を産むのではないだろうか...
と俺は本気で考えている。
ダビデとゴリアテ
2003/07/11
団体スポーツの醍醐味は、団結力と選手個性と戦術である、と思う。だから、スター選手ばかりが自分勝手にプレーをして勝利を収めているチームは、豪快であるとは思うが、見てて楽しいとは思えない。
その三要素が結合して、ダビデとゴリアテの神話宜しく強敵を打ち破った姿に、人間というものの本質の一要素を見て感動するのである。
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