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映画、DVDについて猛烈にお得開始。

反逆のアイデンティティ

2003/08/28

たまに呼ばれて行くバーがある。地元のバーである。マスターは酒に詳しくて、実際に酒そのもののは美味しいと思う。しかし俺が一人で行くかといわれたら行かない。正直に言って、そこへ出かけるのに気持ちの中で引っかかっているものがある。

俺はそのマスターについて、面白い人だと思うし、いろいろな話に付き合ってくれるので嫌いではない。けれど、彼の一番の欠点は人の話をよくするということである。さらに、他人の話ばかりする奴はたいしたことの無い奴である。と自ら語っているだけに、その矛盾がどうしても楽しい気持ちに影を落とす。ひょっとしたらその発言は自己批判かもしれないが...自己批判しがちな酒場のマスターというのも鬱陶しいだけである...

そんな些細なことなんてどうでもいいじゃん、と思われるかもしれない。

けれども。大量の工業製品を売るために、マーケティングは発達し、その発達によって、人間の好みというものは大別されて一まとめにされがちである。しかし全く同じ環境で育った人間はいない。だから本当は人の数だけ趣味嗜好がある。いやもしかしたらマーケティングの分析するだけの趣味嗜好類型しか無いのかもしれない。無いとしても、俺はそんな手法で分類されるほどに浅はかな人間じゃねえ。と思いたくなる。反逆のアイデンティティである。そういう気持ちは誰しもあるのではないか?

大衆居酒屋の驚異的なパフォーマンスに侵食されがちな俺の財布はときにその反逆のアイデンティティのはけ口を求める。そしてバーへと赴く。だからこそ、些細なことでも足を運ぶのに障害になったりすることがある。

俺は最近、この場所で書く内容を、毎日一人で静かに飲みつつあれこれと思案する場所があれば良いのにな、と本気で夢見たりしている。そんな場所が無いので今は家で飲んでキータイプするばかりである。しかしやはりこの蛍光灯下では雰囲気が出ないなァと思う今日この頃である。

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魅力的なデジタルカメラ

2003/08/27

デジタルカメラを購入した。購入したのはF200である。最終的に、何時でも持ち歩ける大きさ、(自分にとって)良い画質、P/A/S/Mのある練習機という3要素を考慮するとどうしてもF200であった。FZ-2も遊べるデジタルカメラではあると思うが、何せ冥府には行かないし、行きたくない。

この何週間か、本当に色々なデジタルカメラを調べたり触ったりした。技術の進歩は凄いな、と素朴に感動した。そのデジカメの中で、実はFZ-2より興味をそそられたのが、防滴仕様のSony U60である。Sonyというのはあまり好きな家電メーカーではないが、このデジタルカメラには感心した。1.5Mまでの水中で撮影可能なのである。

これはカメラのことしか考えていないメーカーには作れない代物であると小生は思う。カメラメーカーはカメラは大事に扱って欲しいだろうし、水中には水中キットなどのオプションで対応する。しかしそのオプションでは大きすぎる。その点、U60は夏に海に行ったり冬にスキーをする人がカメラという存在をできるだけミニマムにしておいて、かわりに最大の臨場感を得るために欲しいデジタルカメラ。そういう塩梅で発売されたカメラではないかと思う。

プールの中で写す水中写真、ゲレンデで滑走する写真。それはとても魅力的なものだ。そういうカメラで何を撮るか、では無く、何を撮りたいがためのカメラを発想し作った遊ぶ人間の感性を強く感じる。

だから気になっている。

ところで最近写真のことばかり書いていたので、なんとなく写真とは何か、ということについて考えたりする。がそんなに簡単に答えが出るような質問ではないようだ。多くの写真家もそれにたいして答えを出そうとはしているが、例えば絵画に付いて小林秀雄が書いたほどの感動を受けたことは、いまだに無い。

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優柔不断

2003/08/26

カメラ屋に出かけて、2時間くらいウロチョロした挙句にデジタルカメラを買うという目的は果たされませんでした。例のカメラは動作的には不都合が無かったのですが、どうもプリントアウトされたサンプルがあまり良いと感じられなかったのと、コントラストの強い輪郭部分で出る色の収差が確認できたためであります。

この色の収差は小生のもっとも嫌悪するものであります。そのためにかつて買ったデジタルカメラをすぐまた売り払ったほどであります。モノクロで撮影するならともかく、カラーである以上、無い色が出てくるのが非常にイヤなのであります。多分、小学生の時、呪われそうでたまらなくイヤだった心霊写真のトラウマかもしれない。無いものが写ってる。ギャー、と。ともかく、ある色がすこし可笑しかったりするほうがまだ数倍もマシであります。

そういえばこのカメラ屋で、写真講座が開催されているらしく、丁度今日が暗室作業を経験しよう。という内容でありました。ものすごく体験したかった小生はものすごく落胆しました。

さていままたミノルタのF200というデジタルカメラに惹かれています。同時にカメラ屋でウロチョロして、なんだかカメラスピリットが再点火されたらしく、こうなれば一眼デジタルカメラを買ってしまおうか、と思ったりして一向に購入のラインを超えられません。

ただの優柔不断と言われれば確かにそのとおり。言い返す言葉も見つかりません。しかし厳固不断すぎたる過去の買い物の失敗に比ぶれば、その程度の言いがかりなど屁のツッパリにもならない。と思って涼しい顔をしている小生であります。

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Panasonic FZ-2 (3)

2003/08/25

只今午前7:30。こんな早朝から小生の心は本日購入するかもしれないであろうデジタルカメラ、FZ-2のことで頭がパイイツである。

昨日カメラ屋で値段と動作を理由も無く隠密裏に調査しにいったのであるが、ポイント還元とやらで意外と安い。起動やシャッタータイムラグやらも思ったよりもキビキビしとる。ただしP/A/Sが一つのボタンにまとめられているのはちょっと切り替えがうざったいので残念であり、また購入を思い悩むところではある。

悩むといえば、もう一つの魅力的な商品、CanonのA70。こちらはダイアルでP/A/Sが切り替えられる。ズームは光学3倍ながら、300万画素。なかでも一番魅力的なのは、全部揃えて3万をちょっとはみ出す程度のコストパフォーマンスが高いデジタルカメラであるということ。

しかしFZ-2のレンズは銀塩ならば所有することが考えられないイカしたレンズ。実際12倍ズームを試してみたら、冥府にある火山の奥深き火口の底まで寄れそうな塩梅で小生久しぶりに小便ちびりかけた。しかもFZ-2なら各種フィルターを取り付けることが可能。なのでFZ-2のほうが優勢であるが、土壇場でどう転ぶか分からん。

いづれにせよ、小生が購入した方のメーカーは、もれなく右手でガッツポーズを高らかに掲げ、仕事帰りに祝杯をあげたりしてくれるべきである。というような、わけの分からん妄想を抱きつつ、お昼には売り場へ出かける小生である。

もしもデジタルカメラを購入したくて、とりあえず安くて綺麗な、かつカメラの初歩的な操作も覚えることができる機械を求むるなら、CanonのA70がダントツに小生のお勧めである。初歩よりももうちょっと色々な表現方法に挑戦してみたい輩にはFZ-2。例えばNDフィルターを使って、水の流れを流動的に撮ったり、明るい日中でも絞りを空けて背景をぼかしたポートレイトなどが撮られる。

ちなみにP/A/Sというのは、Pはプログラムオートで、Aは絞り優先、Sはシャッタースピード優先の略である。

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リバーダンス

2003/08/24

パソコンでテレビを流してたら、リバーダンス日本公演のCMが流れておりました。

リバーダンスというのはアイルランドが支配されていた時に、ダンスも禁止されたが、腰から下を使って踊ることで監視の目をごまかした。その足の動きが川にいる水鳥の掻き足に似ているからリバーダンスという俗説があるようであります。

小生はカルメンが好きなんですが、このリバーダンスもタップの音が小生の野生をムラムラと呼び覚ましてきたので、一丁 見に行ってみようかと思います。CMを見た感じでは、カルメンよりも統率された動きと迫力に圧倒されそうな予感がなみなみと致します。

小生に言わせれば、野生をムラムラ呼び覚ますこと、それこそがダンスである。小生の叔父がする、酔っ払ったウナギのようにクネクネする日本舞踊は犬にも失笑を買うような代物であって、全く日本舞踊に失礼だと思うので早く辞めてもらいたいし、辞めなくても良いから、親族の集まりで披露するのは勘弁していただきたい。

こないだの正月に披露した時に、昆布巻きを隠れて投げたのは小生である。

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種と皮

2003/08/23

PHOTOに写真をリニューアル掲載したので、今日は、どうでもいい個人的なことを適当に書いて済ませる。

小生は実はワインが好きではない。飲むには飲めるが好んで飲むことは無い。

ワインの苦味はなんか重たい。同じ苦い酒でもビールの苦さはほろニガであとに残らない。だから何杯でも飲めるが、ワインは1,2杯飲んだら舌に錘がついたような感じになって、もう結構、である。

大体、ワインというのは悪酔いしやすい酒である。ぶどうの種と皮をいっしょに潰して酒にするのだが、その種と皮にそういう良くない成分が入っている。小生も体調によっては、すぐに頭痛が起こったりする。他の酒で頭痛を催すことはめったに無いのに、これだけでもワインが如何にヤバイ代物か分かる。ちなみにシャンパンやスパークリングワインは実しか使わないので、悪酔い二日酔いはたいへん生じにくい素晴らしい酒である。

さて小生などは身をもってそのやばさを体験したアンビリーバボーな輩である。あれは友人の結婚式の二次会の顔合わせであった。すっかり新郎側の友人と意気投合した小生は、その連中とガバガバワインを飲み始めた。30分もしないうちに、3本のワインが空いた。青山の素敵なレストランにも関わらず、雲龍久吉、不知火光右衛門型一気などとわけのわからん事をして騒ぎ、注意してきた店員に逆切れする性質の悪さであった。

してすぐに小生の頭脳は赤い液体が逆流してきたらしく、まともに椅子にも座ってられなくなってトイレへと行ったが、予想通りトイレから帰って来れなくなった。心配してトイレに様子を見に来たその真新しい友人が、汚物の入った便器のつまりを素手で直しているというのに、その上からさらに放出したり、蹴ったり、ハンドペーパーを丸めて投げたりしていたらしい。

じきに解散となって、呼ばれたタクシーになんとか乗り込んだ(※)が、車中でも俺は堂々と嘔吐を繰り返して、情けないことに自分の捨物で窒息しかけたらしい。

タクシーから降りると、勢いよくこけたらしい。

翌朝顔が痛くて目がさめると、顔には酷いあざと擦り傷、そして前歯を打っていたが、店からタクシーに乗ったこと以外何も覚えていない。

結局、タクシーには1万円払って、同乗した女性にはスカート代1万円を払う羽目になった。せっかく奢りの飲み会で2万円払って怪我をして死ぬほど憂鬱になった小生。(というかその女性は小生以上に憂鬱だろう)

これもみんな、ワインの種と皮のせいである。普段葡萄を食ったら口からプッと飛ばすごときの種と皮であるが、人類に対するこれほどまでに恐ろしい報復の手段を持っていたとは、本当に侮れない果実である。

諸賢らも十分に気をつけられたし。

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パトロン精神の喪失

2003/08/22

もともと芸術とは社会生活における剰余の産物である。芸術を創作する人間、およびそれを鑑賞する余裕のある人間の、両方が存在しうる社会ではじめて芸術は産まれたはずである。もし人がその日を暮らすことに精一杯である状況のままであったら、壁に動物の姿を落書きするくらいしか出来なかったはずである。

剰余の産物---言うまでもなく剰余というものは富である。従って芸術と富というものは切り離せない関係にある。近代にいたるまでの歴史の中で、芸術家は常にパトロンを求めた。剰余、富を持つパトロンは芸術家の作品を購入、鑑賞、収集し芸術家に富と名誉を与えた。

ただしパトロンが与えたものは金銭面だけに留まらない。彼らは鑑賞する能力のあるものとして、つまりよき理解者として芸術家達に制作意欲を与えた。ルートヴィヒ二世とワーグナーのように、デュラン・リエルと印象派の画画のように。

けれど民主主義の伸張により強力な庇護者であるパトロンという存在は激減した。同時に資本主義の発展により中産階級の増加した。そして芸術家はパトロンの役割を少数の富裕層から多数の中産階級層に変えて求めざるを得なくなったのである。

さて音楽に限って言えば、この体制の変化とそれに伴うパトロン層の変質、さらに技術の進化によって20世紀に繁栄の絶頂を極めた。

技術の進化によって、安価で大量な流布物が作られるようになり、それを体制の変化で増大した中産階級がたやすく買い求めた。

少数の富裕層から庇護を受けるよりも、多数の中産階級に売り込むほうが、製作者(*)にとっても都合が良かった。より莫大な富を手中にすることが可能だし、パトロンの意向も絶対的ではなくなった。製作内容に自分の好みを通すことが比較的容易になったのである。もちろん、購入者(*2)もパトロンの役割を格安で担うことが可能となった。

しかし本当に、購入者は喜んでパトロンの役割を担ったのだろうか?

21世紀に入ってコンピューターテクノロジーが発展すると製作物の内容が容易に複製可能となった。

この複製は爆発的に拡大した。つまりパトロン層は、製品を購入するより他に選択肢が無かったために、パトロンの経済的な役割をやむを得ず担っただけであり、かつてのパトロンが持っていた庇護精神や愛情を持った存在という役割を正当に継承してはいなかったのである。だからこそ、より安く、あるいは無料で芸術の享楽を得られるとなると、経済的な支援もやすやすと放棄したのである。

現在、製作者側は、この複製の動きを止めるべく必死に法律でもって抵抗している。しかしおそらくそれは無駄な抵抗に終わるであろう。

法律、それは権利を守るための道理の発明である。いま音楽が侵されている権利は(複製による)経済的な権利である。この経済的な権利は技術によって築かれた。いままた技術によってその権利を失おうとしている。したがって製作者側は、法律による技術の抑制によって、経済的な権利を守ろうとしている。

著作権の存在は小生も認めるに吝かではない。しかし本質的には、その経済的な権利を侵している原因はパトロン精神の希薄さなのである。

しかも技術による富によって傲慢になってしまった製作者側は、かつてパトロンに保護を被っていたころの謙虚な精神を忘れ、その希薄さを正しく見ることが出来なかった。そんな傲慢な彼らが、今さらパトロン精神を訴えたところで、身分の高いものから低いものに庇護を訴えるというおかしな話には誰も耳を貸さないであろう。一個の個人としての関係においては、すでにパトロン>芸術家という式は逆転してしまっているのである。

その意味では今の混乱も自分達の手で招いたものであり、自業自得である。自分達が築いた栄華の体制は、もはや逃げ道のそう見つからぬ深き沼となり、その中で苦しんでいるだけの話である。

そもそも日本ではCD1枚が3000円もする。DVDタイトルが同じ値段で買えることを考えるとこれは馬鹿にしているとしか思えない。もちろんメジャーな映画と国内販売が主体のCDとは販売枚数も違うだろう。しかしかかっている経費も違う。

それに良質の音楽は国境を越えるはずである。所詮日本でしか売り上げられない音楽に利益を乗せて3000円で販売するのなら、複製が出回るのもこれまた自業自得である。さらに大量販売という音楽の流布の方法も、パトロン精神を持ちようのないものである。小生からしてみるとこんな怠惰なやり方で、ただ複製を糾弾するとは、この業はかなり根が深いと言わざるを得ない。

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Panasonic FZ-2 (2)

2003/08/21

シャッタースピード優先の何が良いかというと、例えば走る人や車の背景を流しながら撮り、躍動感ある写真をものにすることが出来たりする。同様に、水しぶきや滝の流れを流水的に撮影できたりする。とにかく動くものの表現方法を自在にコントロールできるのである。

またシャッタースピードを手ぶれしないギリギリの速度にしておけば、絞りは自動的に最大に絞られるので、手ぶれを起こさない状況における、もっともシャープな、また焦点の深い画像を撮影可能となる。ちなみにぶれないシャッター速度は、一般的には、1/焦点距離(35mmなら1/35)である。(小生のように気合で金縛り状態になれる人間ならもっと遅い速度が可能)

絞りは、もうちょっとボケてもいいな、とかここまでボケすぎなくてもいいかな、といったボケ味のコントロールに主に役に立つ。まあデジタルカメラはそういうボケのある絵をとることが一般的には苦手であるが、流石にF2.8、焦点距離が最大420mmでは素晴らしくボケを演出してくれるのであるから、まさにこのカメラではあってしかるべき機能なのである。

とまあ色々と書いてきたが、最終的にFZ-2が小生のハートをガチンコにバインドさせたのはその見た目である。

大体なんですかあ、最近のデジカメは。なんでもかんでもシルバーの狂態、そしてごちゃごちゃしたボタンにウィンナーみたいなレンズの繰り出し。俺は地球上でしかカメラを使わないんだから、他の銀河の生命体が心を惹かれるようなスペイシーなデザインは全く持って興味が無い!!間違ってUFOに遭遇して、そんなデジタルカメラを持っていたが為に捕獲されてチップを埋め込まれたらどこのどいつが責任をとってくれるんジャイ!!

まったくもって流行は解せねえし、こういうデザインで売り出す会社の途方も無いセンスにうんざりしてしまう。お前らは頭を丸めて黒ブチのめがねをかけた上にデカ襟のシャツを着て漏れなく襟をおったてて、イタリアのジウジアーロ社に数年間研修に行って来い、と日ごろ温厚篤実で鳴らす小生もつい愚痴を言いたくなる。

FZ-2は特に優れたデザインではない。しかしこの価格帯では珍しく黒の筐体である。また全体的に小ぶりながら、レンズの大きさで重厚感もある。ぱっとみ銀塩一眼タイプのカメラの小型版である。むしろ保守的なデザインですらあるが、カメラっぽくて良い。つうかスペイシーよりアーシーであるからそれだけで良い。

と、まあこのような事情で持って、小生はFZ-2を購入するのである。

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Panasonic FZ-2

2003/08/19

デジタルカメラを買うことにした。PanasonicのFZ-2である。実は、FZ-1という現在の機種もかなり気になっていたのだが、シャッタースピード優先くらいないと俺にとって買う意味があまり無いと判断してパスをした。

デジタルカメラの話は興味が無いかもしれないが、いまや学生はメールやWEBで写真を友人達に見せ、ママやパパは子供の姿をデジタルカメラで撮り、おっさん達は部下にデジタルに弱いアナログ原人に思われないようにデジタルカメラを求め、じいさんばあさんは孫の姿を撮るためにデジタルカメラを買う。もはやデジタルカメラは老若男女が購買層である。したがって、デジタルカメラの話をするのも悪くない。

さてこのFZ-2は、前の機種と同じく12倍ズームである。12倍ズームがどれぐらい凄いかというと、蟻が象な感じにズームである。そしてこのレンズはズームしても明るさが変わらないレンズである。普通はズームをすると、対象を記録するために絞りを絞らなくてはいけない。目で言うと目を細める状態にしなければ、ボヤボヤとした像しか記録できない。レンズやその構成が良いと、空けた状態でもピシリと結像することが出来る。空けた状態から絞ることはできるが、その逆は出来ない。だから人は明るいレンズを求めるのである。

ちなみに絞りを空けた状態だと、入ってくる光の量が多いために、シャッタースピードが速くなって、手ぶれや被写体ぶれが防げる。またボケの量も多くなって、表現に幅が出るのである。このFZ-2は全域でF2.8。これはかなり凄い。銀塩用の同等の性能のレンズだと、3kg、60cm、何十万というレンズである。また、一応ライカ製のレンズらしい。俺は別にライカと効いてもああそうデスカとしか思わない種類の人間なので、この辺は特にどうということも無い。

それよりも、このカメラは電子ビューファインダーで、要はファインダーを覗くと中に液晶のパネルが見えるしくみである。つまりファインダーを覗く格好で写真が撮られる。

小生は常々、あのデジタルカメラで写真を撮る際の小さく前に習え的なポーズが嫌で嫌で仕方なかった。ぶれを防止するために脇を閉めるととりわけ悲しくなるほどダサい。カメラはやはりビシッと顔につけて、脇を閉めて、足を開いて撮るものである。撮られる方としても、撮影者からキョロキョロと見られるよりは、撮影者の視線が消えるこの撮り方の方が落ち着くというものである。

ただしこのカメラは200万画素である。したがって印刷時にはぎりぎり頑張って六切り程度のサイズが限界である。しかし、小生は4切りも年に一、二度、枚数にして十枚程度しか伸ばさない。しかもそういう時はたいてい一眼も持っていっている。だから大きく伸ばせなくて残念に思うことはあまり無いであろう。大きく見たかったらモニタででも見よう。ていうか400,500万画素でもモニタでは結局縮小表示しか出来ない。

それよりも200万画素だと少ないメモリーで一杯撮れる。つまり小生にとっては写真技術習得という点でも、200万画素はむしろ好ましいのである。まあ本音は300万画素くらい欲しかったが、そうなるとまた本体のサイズも大きくなるだろうし、画像の質も変わってくるだろう。とりあえずデジタルカメラは、「たくさん撮る」ということが一番の存在理由であるという点から、気軽に持ち出したい。200万画素ゆえにこのサイズを実現できると考えると、十分我慢するに足りる理由となる。

さてここまではFZ-1でも同じだが、FZ-2ではシャッタースピード優先と絞り優先撮影機能が新たに加わった。これ以降についてはまた明日書くことにする。

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映画 「バトルロワイアルII」

2003/08/19

たまたまチケットを貰ったので、映画バトルロワイアルIIを見に行った。見に行った映画館は新宿東映パラスという古い映画館である。映画館の入り口には、上映するホールが小さいので予めご了承ください、と書かれていたが、実際に入ってみると断りどおりものすごく小さなスクリーンで、150インチ程度のようである。しかしここまで小さいと逆に新鮮な感じがした。椅子はわりと柔らかくて、見た目はそれほど綺麗ではないが座りごこちは悪くないものだった。

バトルロワイアルIIは色々なところで様々な人から酷評を受けている。また館内で、前の回が終わって出てきた連中が、面白くないと教えてあげなよ、なんていう冗談を言いながら出てきたりもした(俺はこういうのは大きなお世話だと思うが)。

さて上映が始まると、今回の主役らしき金髪の男子の演技力に大笑いする。からかうことが好きな小生なんかがすぐに真似したがるような、実にヘリウムのごとき軽薄な台詞回しが笑いのつぼをくすぐる。だがそれ以上に強力な人物がすぐに登場する。教師RIKIである。彼の登場以降十数分間にわたって腹がよじれんばかりで笑いの悶絶地獄に陥る。当然、映画館では静かにするのがマナーであるから、小生は酸素欠乏気味になり、あやうく昇天しかけてしまうところであった、それなのに、さらに追い討ちをかける危険な自体が発生。クラスの生徒が攻め込む前にダダダッと殺されて、いきなり数十人の名前が「死亡」と説明される。あきらかに面倒くさくなって数減らしちゃってるよ製作者。もはや小生もそのリストに載りかける勢いで笑いが止まらない。

物語のストーリーは批評できるレベルではないほどに陳腐なものであるから割愛するが、まあ戦争やテロや家族について君ん家のオカンレベルで言いたい放題である。またそれらのテーマが何の繋がりも無いあたり、逆にこれは批評家に対する批評ではないかと思わせられる。

さて比較的小康状態に落ち着いた小生は冷静に見ると藤原という役者の演技が、このクレイジーな映画の中でただ一人まともに演じようとしているように思えた。それが成功したかどうかを根拠をあげて示すことは出来ないが、声のトーンなんかわりと感じが出ていたように思う。

そしていよいよ物語は佳境に入ってくるのだが、最後の方にとんでもない爆弾が仕掛けられていた。俺は本当に、皮肉屋ではないのだが、このシーンではもう我慢が仕切れなくなって大笑いしてしまった。最大の理性を用いてなんとか声を上げないようにしようと思ったが、あまりの面白さに口の恥から泡が漏れそうなほどに苦しい。このように映画で大笑いしたのは本当に久しぶりである。Mr.Beanの数百倍面白い。

我慢できないのでそのシーンを簡単に書かせてもらうが、ブッチギレていた教師RIKIがとうとうアルティメットな塩梅で切れてしまい、なんと戦場にラグビーのユニフォームでどこからともなく登場。早く行け!という割には、感傷的な話をし始めて自ら足止めをしつつ、挙句の果てに殺傷装置が作動し始めると、勇ましい雄たけびと共に水溜りに向かってタックル。しかもナイスタックル。そして死亡。ただ、残念ながらおそらくタッチダウン前です。

RIKI、あんた一体何しに来たんだ?

と誰もが心中はげしい突っ込みを入れるだろう。俺は今思い出しても滅茶苦茶に腹が痛い。結局この映画の美味しいところは全部RIKIが原爆級に独り占めである。一人で映画の全てを破壊し創造する男、RIKI。

まじめになればなるほど面白くなるという種類の笑いがあるが、この映画はまさしくその種類の映画であり、必ず爆笑できる一級のエンターテイメントである。

お勧めである。

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買い物

2003/08/17

昔はどちらかというと、欲しい、と思ったものは後先考えずに買うほうだったが、最近は違う。買おうかな、どうしようかなという状態でジリジリしていることが多い。DVDとテレビは買ったが、液晶ディスプレイとデジカメはまだ買っていない。

買い物にそうやって悩むようになったのはもしかするとあれがきっかけかなという出来事がある。昔一度引越しをした時に、デスクを買おうと思い、オークションを見てみると天板天然木という商品があって、1万円ほどだった。そこで俺は意気揚揚と落札して、商品の到着を待っていたのだが、届いた商品はかなりショボイ代物で、確かに天板は天然木かもしらんが、それの足となる3面のパネルが薄っぺらである。まるで天板が女を二股かけているかのように、そしてどちらの女に対しても魅力を感じているかのように、フラフラふらふらしていて、全く使い物になりやしない。

そりゃ確かに商品は1万円のものであって、その値段で買える商品なんて大したものではないと今は冷静に思えるが、そのときは写真の移りのよさと、オークションにおける価格破壊を当然視して購入してしまった。

そうして小生は、1万円の買い物ながらに残念感は50万円分ほど味わってトラックに潰された空き缶のごとくペシャンコにへこんでしまったのである。結局その机は、なんと奇跡的にリサイクルショップで1000円で買われたので、即刻売り払った。小生の潰れ具合ほどに、いつか処分されて潰れることを意地悪くも期待した。

さてそれからというもの、小生は買い物をするというときには以前よりよほど慎重になった。得られる情報は全て得て、かつまたなぜそれが必要なのかという根拠の数が両手を越えるほどとなり、どうしてもどうしても欲しくて堪らないというテンションの極みを待って買うようになった。

ただしそうなってくると、買った後、想像どおりの満足を味わってから、もっと早く買えばよかったなあと思うこともある。しかしこの小後悔はあの大後悔に比べれば取るに足らぬもの、むしろその小後悔が「やはり買って正解であったのだな、ははははは」とあっさり満足に転化してしまう瞬間がまた快楽なのである。

幸い、考えすぎて買いそびれたということは一度も無いから、デジカメと液晶ディスプレイもじっくりと待って買うことにする。1万円で50万円分の失望を購入して、小計51万円分の残念を得るよりはだいぶましなはずである。

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DVDの見方

2003/08/14

レンタルビデオ店でビデオテープを借りている時は、同じ作品を2回借りることはほとんど無かった。まあ以前見たことを忘れてまた借りてしまうことはあったが、そういう形で借りたのだから、その作品が面白いはずも無い。自分の記憶能力の乏しさに憂鬱になり、あげくに作品のつまらなさのせいにして逆切れする。

昔、プレイステーションが爆発的に売れたころ、どんな内容のソフトでもある程度は確実に出荷数が見込めて、その利益でフェラーリやらを買った人が居る。しかしそのソフトに添付された意見・感想の葉書に、ソフト内のクレジットで名前を見たのだろう、名指しで「こんな糞ソフト二度と作るんじゃねえ○○、二度と買うか、阿呆!」くらいのことが書いてある葉書が山ほど届いたというが、たぶん同じ作品を二度借りた小生は、そんな少年達の心境と殆ど同じような心境に陥ってしまっている。

そういう経験の為にますます2度見るということをしなくなっていた。

ところがDVDプレイヤーを買ってからは、DVDソフトの何を買おうかというときに、とりあえず昔見て面白かったタイトルを買おうと思うようになる。ソフトとして手元に残るのだから、まだ見ていないタイトルを買うような冒険的行為はあまりしない。だから必然的に昔見た映画をもう一度見返すのである。すると意外な発見があったり、すでに印象レベルになっていたストーリをもう一度面白く見返す形になって面白い。

例えばマルコムX。デンゼル・ワシントンが主演だが、心情的にマルコムXに完全に移入している演技をまた鮮明に目の当たりにして改めて驚いた。あとはタランティーノの作品。日常的な要素で構成される、非日常的なシナリオと個性的な俳優のキャスティングはやはり何度見ても面白い。それからマルコビッチの出ている映画はどれを見ても、マル公の演技力は言語の壁を超えて凄いものだと感心させられる。

他にも色々とそういったタイトルはあるが、中でも音楽をテーマに、あるいは音楽が重要な要素となっている映画は比較的何度も見返しやすい。

ストーリーや映像に優れた映画というのは、見る側にある程度の集中力を要するが、音声や音楽はある程度ぼうっとしていても頭に入ってくる。以前パソコンの話の時に書いたことと共通している現象だが、とにかくこれは不思議である。聴覚の方が視覚よりも脳の負担が軽いのだろうか、なんていう風に勝手に考えている。

俺が持っているタイトルで言うと、「リトル・ヴォイス」や「ムーランルージュ」、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」などである。もし諸兄がDVDを購入したのなら、この3作品はかなりのお勧めである。とくに先の2作は役者なのになぜにこんなに歌が上手いのか、と唸ってしまうこと請け合いである。その点で歌手のミュージックDVDよりも価値があるかもしれない。というかまあ、見て、唸れ。

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お洒落 優しさ

2003/08/11

以前、友達と千葉県の鴨川に海水浴に出かけた。俺はその時、臙脂色と紺のボーダーポロを着ていて、その下には薄い桃色のTシャツ、それからハーフカーゴパンツとデザートブーツを着ていた。

いまでこそポロシャツの下にTシャツを重ね着している若者をよく見かけるが、3年前にそういう着方をしている人間は居なくて、事実、友人は俺のその重ね着の可笑しさを軽く笑ってさえいた。しかし俺はその着方をお洒落として良しとしていたので気にならなかった。

むしろチェックのハーフパンツや知性のかけらも無いプリントのTシャツを着ている友人にそんなことを言う資格は無いと、無性に腹が立ったので、日ごろの温厚篤実ぶりを忘れて、冷笑でもってこれに対応したものである。

お洒落とは自分の美意識や思想、その時の気分を表面化するものである。だから基本的には他人の評価をそこに介入させるべきではない。

さてその晩、皆でバーベキューをする事となった。俺はよく駅の階段などでは老人や妊婦や女性などの荷物を手伝わさせてもらうことが多いが、こういうシーンで女性を優遇することは殆ど無い。それにくらべて、よく動く友人は優しい、優しいと盛んに女性に誉めそやされていた。俺は何が優しいのかよく分からなかった。

その帰り道の車内で、別の友人がタバコを吸っていた。同乗していた二人の女性もタバコを吸っていた。すい終わった吸殻を始末する時に、その車では灰皿が使えなかったのだが、その友人は吸殻を俺に全部貸せ、といい纏めて窓からポイと捨てた。俺は道にごみを捨てる奴は嫌いだがその友人の行動が、ポイステも出来ないくせに、灰皿が使えないとわかっていながらタバコを吸った女性を戒めているようで可笑しかった。

優しさが身体ではなく心に作用するものだとしたら、俺はこの友人の方がよっぽど優しい人間だと、今でも思う。

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出会い

2003/08/11

出会いがあるから別れはある。しかし別れがあるから出会いがあるとは言えない。それでも別れの後にある出会いというのは一段と心を喜ばせるものである。これは友人や恋人といった人間同士の直接的な関係だけではなく、例えば以前書いたような飲み屋においても同じようなことが言える、と今日感じた。

以前足しげく通っていたBarの堕落に絶望して絶交してから数ヶ月、数件のバーを訪問してはみたが、いまいちピンとくる店は無かった。しかし今日、友人の紹介で友人と共に訪れたバーはなかなか気に入った。あのバーの喪失があったから余計にこのバーとの出会いを嬉しく感じる。人間の幸福というものは相対的なものであると改めて思う。

さて具体的にどのような塩梅であったかというと、バーに入ってまずビールを頼むとはよほどのいなかっぺいだと思われるかもしれないが、今日は晩飯を済ませてなかったのでビールを頼む。2cmほどのやけにクリーミーな泡が麦酒をひたっと覆っているのがまずグラッツェ。1時間しか寝てなくて酒が飲める体調ではなかったのでカクテルは飲まなかったが、もしこのビール並みのこだわりと技術があれば不味かろうはずが無い。

それから料理を7皿くらい頼んだが、特にこちらから断りを入れることも無く小分けの皿が料理の分だけ出てきたことにまたグラッツェ。洗い物は確かに面倒ではあるが、様々な味が混ざることを良しとしない、つまり料理に愛情を持って作っている姿勢が現れている。その心意気は昨今そこらの料理店であまり見られない貴重なものである。

その心配りはトイレにもあって、油とり紙を置いてある店はここが初めてであり、感動した。

さらにカウンターの客を相手にしながらもテーブル席の我々のリクエストに迅速に答える配慮と、加えて全く自然な接客が良い。再びグラッツェ。

ただし他に来ていた客が居酒屋のような雰囲気であり、他人の会話の妨げになっていたのが気に入らなかったが、だからといって店が客をそこまでえり好み出切るわけではないので、今日がたまたま日が悪かったと思う。しかしやっぱり気分は良くなかったが、店の音楽が一転してロックを流しはじめたのは、なんらかの気配りのような気もしなくは無いので怒りもそれほど強くはならなかった。

帰りに友人が携帯を店に忘れたので取りに帰る。バーテンダーがさっと差出す。するとバーテンの前に座っていた一人の若い女が「よかったですね」という。俺は睡眠不足でぼうっとしたまま「ヨカッタァ」と人の携帯なのにそう安堵の表情を浮かべてみせる。そして既に疲労困憊でテンパイな俺は女の顔をよく見ることも無くさっと店を出ようとする。すると女が「おやすみなさい」という。そこで俺も「おやすみなさい」という。実際、その場で倒れて寝たいほど眠かったのである。でも飲み屋でそういう風に女に声をかけられたの初めてなので、さきほどの客層に対する不満はスッキリと解消されて、まるで嵐の後に広がるブルースカイのような心情となって店を出たのである。

女に声をかけられたということを、自慢しようとは思うわけではない。むしろ女の甘えた話し方が気に入らなかったので、仮にいつかまた会ったとしても馴れ馴れしくはならないだろう。しかし、ただ単純に、好意的なコミュニケーションを仕掛けてきた女を珍しく感じたのである。

何かその女に良いことでもあって、気分が良かったのか知らん。

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スペイン

2003/08/08

スペインに行きたい。セゴビア、マドリッド、バルセロナ、トレド、コルドバ、グラナダ、マヨルカ。

そして闘牛を、カルメンを、ガウディを見る。サッカーを見る。料理を堪能する。なんと言っても素晴らしい美術館をぼんやりと探索して楽しむ。

大体、スペインでは晩飯を深夜12時以降に取るというではないか。つまり俺のような怠惰な観光客にはうってつけである。

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ゲーム理論

2003/08/04

自由党と民主党が合併するようである。一旦は民主党内の抵抗で白紙撤回されたようだが、どうも自由党の譲歩で決定に至ったようである。同時に如何なるポストも求めないという小沢議員の発言は今回の合併にかける決意または根性を表しているようで、裏にどんな思惑があるかはしらないが、へへえと感心した。正直、小沢議員の政治家としての魅力は今一番発揮されていて、また他の政治家と比べても抜けているような気がする。

その合併に対して自民党は猛烈に批判を加えている。もちろんその言い分にも正しいところはあるが、保守・公明と政権維持のために連立をしている彼らが、自由・民主の合併を非難するのはやはり分が悪いように感じる。むしろその激しさが増せば増すほど、一度野党となったときによっぽど辛い思いをしたんだろうなあと思わせる。大体、自分達の党の利害調整が一致してないことは議論が活発で党の存在が健全である証と自画自賛してる連中が今度の民主党を批判するというのもはなはだ滑稽な話である。

個人的にはこの合併により、現与党は特に都市部においてより一層の苦戦を強いられると予測している。利権に縁の薄い都市の有権者というものは、むしろこの合併にかけた小沢議員のほうの心情に、民主主義において政権をとる、そのために選挙に勝てる体制を作って何が悪いという虚飾を廃した本音に惹かれるであろう。

また、今回の合併で一番利を得るのは小泉総理だと思う。反対する自民党内には、自分達の勢力が新民主党に加わる可能性というカードをちらつかせて黙らせることができるだろう。また新民主党だけでは政権をとることが割合的に無理なので、彼らの党に参加する可能性という同じカードを使って協力的な態度を暗に要請すること出来そうだ。もし改革に本気ならひょっとすると本当に合流してしまうかもしれない。

ともかく、政治はゲームではないが、民主議会制における政党の動きは本当にゲーム的で面白い。

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