蜂刺され
2003/10/30
生まれて初めて蜂に刺された。別にハイキングやピクニックに行ったわけではない。風呂上りにTシャツを着て、パンツを穿こうと収納ボックスに手を入れてごそごそやっていると、親指に太い針がずぶりとささったような痛みを覚えた。
イデーッ。なんだ、針でも入っていたのか。と思ったら、たぶん足長蜂がブーンと飛び出てきた。
下着入れに蜂。
おそらく干していた時に、蜂は黒いものに執着するから、くっついて、そのまま畳まれてパンツの中に息を潜める羽目になったのであろう。とはいえ、この組み合わせ、全くの驚きでありまさに奇想天外である。
ともかく小生はフルチンのまま意外な痛さに悶えた。このままでは蜂の毒が体内を巡り、酷い事態になる。
そう直感した小生の脳裏に、昔の記憶が蘇った。幼少の頃、小生の弟が蜂に刺されたことがあるが、そのときたしかおしっこを塗って毒を中和していたはずである。よしその手があったか。小生はフルチンだったことをこれ幸いにと、トイレに行っておしっこをちょろりとかけた。
ちょっと生暖かくて気持ち良い。まさしく毒が中和された証だろう。かつてこれほどおしっこが有り難く思えたことは無い。
しかしすぐにまた痛みが再発する。これはいかん。オシッコの量が足りなかったのか知らん。
であれば、こういったときこそインターネットの出番よ。早速、蜂刺され というキーワードで検索すると、蜂の毒はたんぱく質なので、おしっこをかけても全く効果がありません。という科学的な事実が判明した。
つまり小生とその愚弟は、民間療法の犠牲となった、ただの黄金水兄弟ということである。なんという屈辱。小生はまだ一箇所だから良い。愚弟にいたっては、5,6箇所も刺されたゆえ、より一層、身体が黄金水にまみれてピッカピカなのである。むしろ神々しいくらいの有様である。臭ッ。
そういった屈辱に顔を真っ赤にしながら、局部を冷やし軟膏を塗ると翌日にはすっかり治っていた。
兄弟の恨みを買った蜂は、パンツで叩き落して殺生した。因果応報。南無。
ときわ食堂
2003/10/28
板橋には何軒か、ときわ食堂という定食屋がある。たぶんチェーン店なんだろう。しかし、規模の大きなチェーン店とは違って、どこかで作った料理を温めなおすだけの定食屋ではない。ガシガシ鍋を動かしながら、奥で調理している。おそらく、原材料の仕入れを纏めているだけだろう。
第一、店のつくりからして、15人入れるかどうかといった小さなものである。そして店の二階にはフロアレディーのおばさん家族が住んでいる。こういう店をチェーンというのかどうか。たぶん呼ばない。
味のほうはまったく庶民的な代物である。プロというより母ちゃんの味である。しかし、だからこそ毎日食べても飽きないともいえる。
たとえば、焼き魚。家で魚を焼いて食べることが殆どない小生は、焼き魚が食べたくなるとそこへ行く。もちろんグリルのついたコンロを買えば、魚は焼ける。しかし、大根おろしは添えられない。大根おろしを作るだけのためには、スーパーの大根はでかすぎる。余らせて腐らせたくない。だが大根おろしはかかせない。よってときわ食堂へ行く。
値段のほうは、当然まったく安い。本日の日替わり定食は480円である。これで解凍してないご飯と、出汁をとってある味噌汁におかずと野菜、漬物と小鉢が付く。
しかし、こと日替わりは、何時食べても満足できるかといわれたらそうでもない。いつかはメンチカツの具をレンコンではさんで揚げたものだった。これは美味かった。先日は串かつと書いていたので、迷うことなく注文した。
串かつが一本だった。
ご存知のとおり、串かつは半分がたまねぎである。ヘルシーといえばヘルシーかもしれないが、かなり、残念だった。最後のほうはキャベツをおかずにご飯を食べた。
生キャベツとご飯は合わない。そんな当たり前のことを忘れかけている現代人であるところの小生に、ときわ食堂は威厳を持って教えてくれた。
次の日は懲りて鯖塩焼き定食にした。
あの時の日替わり定食、串かつの本数を間違えてなかっただろうか。我ながらせこいと思うが、いつか聞いてみたいと思う。
恋愛は暇人の特権である
2003/10/25
昨日だったか、ちらっとテレビを付けると、素人同士が旅を一緒にして、恋愛する模様を流す番組があった。たしか俺の記憶では、これは結構長く続いてる番組だと思う。しかし俺はこの番組が死ぬほど嫌いである。
人の恋愛を見て何がそんなに楽しいか。所詮恋愛というものは当事者の間に生じる化学反応である。当人たちにとっては確かにダイアだが、他人から見た恋愛は鉛筆の芯ほどの価値も無いものである。しかしそのように唯一無二の宝石であるからこそ、恋愛は素晴らしいもののはずである。
あるいは人間に対する観察がよっぽど深い人ぐらいだったらそのダイアの輝きを見ることが出来るかもしれんが、少なくとも俺は三島由紀夫くらいしか知らない。
さらに悪いのは、そんな馬鹿げたことを外国でやっていることである。頼むから外国に行ってまでそんな恥さらしのようなことをしてくれるな。
なんでこんな番組が続いてるか。
皆おんなじ鞄を下げて歩くのと同じ、横並び意識というやつか。もはや恋愛するに老いた精神と、恋愛を知らぬ稚拙な精神がリビングに横になってともに眺めているのか。はっきり言って、全く解せん。
下赤塚で撮った写真
2003/10/21
今更ながら、下赤塚で撮った写真を何点か掲載してみた。自分としてはあまり良い出来ではないので、気が進まなかった。だいいち、24枚そこらしか撮ってないのに、傑作がやたらあるわけも無い。と言い訳がましいことを思いつつも、しかしまあ写真で食ってるわけでもなし、気軽に批評を受けてみようかという気持ちである。
個人的には、絵がどうこうというよりも、露出云々という技術的な面で全くうだつが上がっておらず、スポット測光をいかに使いこなしてないかという基本的な失敗でめげている。
スポット測光は、中央の狭いエリアで露出を決める方式である。例えば、野原に黒い犬がぽつんと居る。黒い犬を測光すると、カメラは黒い犬をグレーに近づけようとするから、明るい露出となる。だから野原の部分は露出がオーバー(明るすぎる)になってしまう。だから手動で露出をマイナスに補正して、犬と野原が好みの明るさのバランスになるように撮らねばならない。
まあ失敗も楽しいといえば楽しいもんだけれど。
雑感
2003/10/20
秋は芸術にもスポーツにも適している季節である。
土曜日は、ビールを片手に鮨をつまみながら、日本代表VSルーマニア戦を観ていた。よく言われているが、中田のフィジカルな強さが印象的だった。日曜日はまたビールを飲みながらラグビーのW杯を観ていた。ラグビーについては全然詳しくない。ルールを少しだけなんとなく知っている程度であるが、観るのは好きである。ミラーが後半から出場して、日本の攻撃時の動きが良くなり、初トライを決めたあたりはスポーツの醍醐味を感じた。
まあとにかく、スポーツを観ていると自分も身体を動かしたくなるが、なかなか機会が無い。近所に古いスポーツセンターがあるのだけれど、そこでスカッシュでも始めようかと思う。
本は日経サイエンスを2冊読んだ。時間とは何か、と恐竜の進化について、である。どちらも面白いが、時間〜の方が面白かった。
人が時間の感覚を体内で計るとき、楽しい時は短く、辛い時や退屈な時は長く感じられるものだが、これは科学的にもインターバルタイマーとして確かめられていて、脳内のドーパミンやらの物質が関係しているという。
つまり、このドーパミンの放出量の調整によって、時間を長くも短くも感じられるということである。時間を短く感じる時は、ドーパミンの働きが活発である。そんな時に薬などでこの働きを低下させてやると、幸せな時間が長く感じられるということになる。
これはずばり幸せの薬であるといえるのだけれど、さて実際はどうなのだろう。本当に幸福感が持続するのか。それとも相関関係があってドーパミンの低下は絶望感の引き金になってしまうのだろうか。
マリワナが好まれていることを考えると、前者のように、弛緩した幸福感というものは本当にありそうである。
思い
2003/10/14
どうやら2003年は記録的な猛暑のお陰で、フランスワインの当たり年らしい。小生、赤ワインはイマイチ好きではないけれども、ムスーやシャンパン、白ワインは非常に楽しみである。そういえば中国ではワインが投機の対象となっているのだけれど、まあそこまでしなくても、お金を持っている人はロマネコンティやらを買うと、国債を買うよりは楽しそうである。売らなくてもテメエで飲めばいいわけであるし。
ところでこないだ、友人が結婚するお祝いに渋谷でフランス料理を食べたのだが、そこで飲んだ白ワインがめっぽう美味しかった。なんというワインか聞こう聞こうと思っていたが、たぶんちょっと酔っていたので、というか会計した時に酔わなきゃ払えなかったので、忘れてしまった。
今度また行ったら聞いてきて、諸賢らにも無料で教授してやろうと思うので、ありがたく拝聴せよ。
しかし、数年間も何となく淡い恋慕の情を持っていたひとが結婚するのは嬉しくもあり、寂しくもある。ひょっとしたらそういう切なさに囚われて、銘柄を聞くのを忘れてしまったのだろうかと思ったり思わなかったり思いたくなかったりする。
NHKアーカイブス
2003/10/07
埼玉にNHKアーカイブスという施設があって、NHKの過去の番組を自由に試聴できる。テレビの番組は放送したら、そのあと2,3度再放送されることはあっても、結局時間が決められているから見たいとき(その番組の情報を得たとき)にアクセスすることはできない。だからそういう施設があることは素晴らしい。
とは思うけれど、埼玉にしかないから、せいぜい一都六県の人しか見られないのは勿体無い。どうせなら、NHKの受信料を払っている人がオンラインでアクセスできるようになっていたら、もっと良い。NHKにも受信料が得られて一石二鳥。コストがどれ位かかるかはしらんけれども。
ところで、DVDの映像だけでなく音も楽しみたいと思って、色々とカタログを眺めている。なかなか決まらない。
豊饒の海
2003/10/06
三島由紀夫の豊饒の海シリーズを読み終えた。なんだかスケールの大きな話である。松枝清顕の転生が黒子という共通の、変わらぬ記号で示される。そしてその転生の人物たちは根本的には共通している。それに対して彼らと深くかかわりを持ち、見続ける友人、本田は一人の人間として生き続けるけれども、精神的な変化があって、その対比が面白く思う。
どうも三巻の月光姫が他の巻の転生した人物に比べておざなりに、というか魅力無く描かれているところが多少物足りなかった。清顕や勲が死を濃く求めていて、それに向かう過程や実際の死の場面が描かれているのに、月光姫はタイに帰って死んだと言われている、と伝聞の形でしか語られてないし、そもそも死を感じさせるような気配があんまり無い。
それ以外では特に不満を感じることは無かったのだが、阿頼耶識とか言う仏教の難しい論理が物語の基調となっているので、理解したほうがより物語に親しみが出ることは間違い。しかし小生のような宗教に何のかかわりも無く生きてきた人間には少々難しい。長い文章で説明してはくれているのだが、所詮きゅうりの輪切りがぐるぐる回るぐらいの理解しかしていない。残念である。
ともあれ、特に最終巻の安永透という人物で描かれた物語はとても面白かった。透は本物か。彼は死ぬか。門跡の記憶の欠損は本当か。色々と推理させられる。
さて三島由紀夫の作品はこれで8割方読んだことになる。一番良かったのは、「鏡子の家」である。
童心
2003/10/02
昔、小学生の頃、自分の誕生日会を催した。家族に加えて同級生が泊りがけで遊びに来ていた。つつがなく夕食を終えて、テレビなどをみて、自分の部屋で布団を敷いて横になり気ままに漫画などを見ていたのだが、どちらが言い出したのか、そのうち漫画の吹き替えに挑戦することになった。
当時、家にはカセットテープレコーダーがあったので、さっそくコロコロコミックを基に吹き替えにチャレンジした。お互いにそれちょっとニュアンス違うくねえかなどと駄目だしをしながら、延々と一時間以上吹き替えを、相当に感情を込めながら行って、ゲラゲラと笑っていた。ちなみに小生の誕生日につき小生が主役のオボッチャマを担当して、友人は父親や友人役を一人で何役もこなす活躍ぶりをもって誠意を示した。
さてこないだX-MEN2を見たのだが、見ていたときにたまたま弄んでいたデンタルフロスが目にとまり、それを用いて指の間にはさんで、ウルヴァリーンと言いながら隣にいた女を引っ掻いて笑い転げていた。次の日に貴方はウルヴァリンではないし、ましてやミュータントでもないです。というメールが来た。
そういえばもう少し以前には貴方はスミスではないしましてやエージェントでもないですというメールを貰った記憶がある。
けっきょく小生は言われもなく憤慨して、「童心忘るる不可らず」とメールを返信して一喝した。
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