クリスマス
2003/12/28
今日はクリスマスであるが、俺にはべつに関係無い。クリスマスだからといってカップルでなにか特別な過ごし方をしようなどということに何の意味も無いと思うからである。毎日がクリスマスだと思って大切に過ごさんかバカどもが。と例年思う。
ただしレストランなどはクリスマスディナーなどといって、シェフのモチベーションが上がっておるだろうから、そこはすかさず予約をいれて食いに行く。カップルのモチベーションは糞ほどの価値も無いが、シェフのモチベーションはそうではない。
そんなクリスマスが終わるとさて正月だが、俺は年賀状を滅多に書いたことが無い。面倒くせーからだ。しかしその手間こそが受け取る人の心に届くものであるから、書いた方が良いと思うが、思うだけで書かない。モノグサである。だからこそ、Perlで楽にホームページを作ろうかと思ったりするのである。
そのPerlといえば、今はフォームから内容を書くだけで、このコラム欄が更新され、そしてログファイルがテキストで残るようになるというCGIを作った。詳しい奴が見れば穴だらけのプログラムかもしれないが、とりあえず動作するので良いだろう。このログファイルの書式はログで使っているCGIと共通であるから便利である。
作成中、2,3回ほど訳の分からない箇所に当たったが、なんとか出来た。その瞬間は、数式を解いたような喜びがあって、悪くない。もしこの喜びをもっと早く知っていたら、数学で赤点を量産することも無く、公立の大学に進学できただろう。
スマンかった、と親に言いたい。しかしまあ3教科といえども、わずか一年間で成績を300番近く上げ大学に入っただけでも良かろうが。とも同時に言っておきたい。そしてたぶんそのときに英語が割と出きることに気がついたからこそ、いまPerlをなんとかヨボヨボ覚えられているのだろう。
しかしプログラム言語というのは、ほぼ完全な論理的な言語であって、その論理を作るためには、語彙の意味を正確に知っていなければならない。そのあたりが、使っているうちにニュアンスで分かる人間の言語と違って苦しいところである。と同時に、その正確さが数式に通じるところでもある。
そんな風に、人間の言語は表現と論理の、時に相反する二つの性質を持っているといえる。
さて今は作ったCGIからさらに、月ごとにログHTMLファイルを作成、そのHTMLファイル名を4桁の西暦+2桁の月数にする。ことと、任意のドキュメントを修正できるようにしようと思っている。
前者はグーグルなどのロボット検索のため(いわゆるSEO)である。後者は俺がよく書き直すからである。
サムライ連想
2003/12/25
ラストサムライはまだ観ていないが、その話になったとき、隣にいた某5氏が西洋には、異質な文化を理解し尊重する姿勢をとりつつ、実際は低くみる。といった他の文明に対する独特の見方があるとかなんとか言っていた。
つまり西洋が専制的な意識で東洋理解を行う、オリエンタリズムというものもそういうことなのだろう、と思った。
イギリスが産業革命を為しえて以後とった、今日で自由貿易主義といわれる国策でアジア・アフリカの多くの国々が植民地化された。日本にも欧米の国々から使節がやってきたが、植民地とされなかったのは、独特ながら高い文化を築いていたからだと言われる。
だから文化というものは大切なのだ、と教授が言ってた。
中国は?中国も確かに高い文化・文明を誇ってはいたが、政治システムが疲労していてたかもしれない。
それから、武士道。武士道といわれても、その哲学を表した人物も、その思想そのものも良く知らない。そういえば三島由紀夫が葉隠れ入門という本を著してはいたが、これは読んでいない。
強いて思えば、日本史上で武士道を表す人物達といったら西郷隆盛とか神風連だろうけれど、それが何の精神を表すかというと、信ずるものをもって死の恐怖を斬る、のだろうかという推測くらいで、よくわからない。
そういえば、外国の作品では「ゴースト・ドッグ」を見た。これも主人公は葉隠れの書をこよなく愛す殺し屋の話だったが、ああ、この主人公、ハスラー2で、薬物の臨床実験で生活の糧を得ている黒人ハスラー役のオッサンだなあ。という記憶しかない。
そのハスラー2の監督はマーティン・スコセッシで、タクシードライバーなどを撮った人物である。こないだDVDで、その最新作、ギャングインニューヨークを観たが、脚本自体は特に面白いと感じなかった。殺害された父親の死の遺志を継ぐという筋自体が安直だし、またそれに至る過程の描き方もアッサリとしたモンだった。
むしろ、父親同士の遺恨を意気に感じて、苦悩しながらも第一の子分として生きていくなんていう物語の方が良かった気がする。
唐辛子
2003/12/22
今月はやたら焼肉を食らった。地元に美味い焼肉屋があると、なにかにつけてそこに行くようになる。それで肉はもちろん、辛いテグタンスープやクッパなども好んで食べるのだが、この唐辛子というのは、もとは南米が原産地である。大航海時代からほどなくして世界に出回った。
面白いのは、韓国というと唐辛子をふんだんに使った辛い料理のイメージがあるが、実は日本のほうが唐辛子が入ってくるのは早かったのである。
この韓国に唐辛子を持ち込んだのは豊臣秀吉だとか、倭寇だとかいろいろな話があるようだが、本当のところは九州や対馬のほうからオランダ船で運ばれて入韓したという。それが16世紀ごろで、それから17世紀後半に入ってからそういった唐辛子を使う料理が広まっていったらしい。
意外と唐辛子については何も知らなかった小生である。
物欲
2003/12/20
近頃はあまり物欲と言うものはなくて、冬の洋服でも買おうと思って西武とか行ってはみたものの、欲しいものがありゃしねえ。デザイン自体がピンとくるものがそもそもあまり無いし、なんかこんな3万のジャケットとか言って原価は2000円もしねーんだろうなあ。とか思って購買意欲が激減。
もっとも原価とか言い出したら売られている物の殆どは買えないと思うが、それでもアパレルはちょっと興醒めなものがある。
そういうわけで物欲があまり無い。無いのはいいんだが、気がついたらすっげーダセエ人間になってそうだ。そのうちPERSONSとか書いたナイロンのジャンパーとか着てそうだ。まあいいか。
そんな俺がなんとなく欲しいなあと思っているのが、コンロ。魚が焼けるコンロが欲しい。近頃、飯のことを考えるのが億劫である。いくら定食屋や外食チェーンが街にあっても、数年もすればマンネリ化は避けられない。従って、自炊率を上げねばならない。現在は週に一度くらいしか作らない。それでは駄目だ。
着ている洋服より食生活が貧相というほうがなんだか寂しい人生のような気がする。
壁
2003/12/14
養老猛の「バカの壁」がよく売れている。
小生がこの人の著作を初めて読んだのは、8年くらい前である。その当時は、友人の一人と競うようにして本を読んだ時期であるが、そのときその友人が話題にしたのがきっかけで、読んだ本が「唯脳論」である。
わりと極端な主張と、それとは対照的に具体的な内容のある本で結構オモシロイなあと思って読んだ記憶がある。
「現代の社会、とくに都会では殆ど人間が考え出したものの中で生活している。だから脳の中に生きているといえる」とか、「明日雨になる。という事がわかっていたとして、雨が降ることと明日なにをするかということは別の話である。」とか「国家というものは土とヌエ的なものである」とかいうくだりは今でも憶えている。
それから何となく、著者の本はほとんど読んだ。今でもたまに暇つぶしとして見返すときがある。しかし、その新刊は買っていない。正直、売れているから、という理由だけで何となく読んでいない。多分小生の性格があんまり素直じゃないからだ。まあそのうち、読んでみようと思うけれど、流石に今までの本を殆ど読んでいると、タイトルを聞いただけで、なんとなく中身が想像がつく。
そういえば、年の離れた兄妹の言っていることがあんまり理解できない。明らかに、壁、があると思われる。どちらかがバカじゃなければたとえ一方通行でも理解できるのに、どうやら揃ってバカ兄妹であるようで、飛び越え難き壁があるようである。その壁は時代とか生活とか、環境というもので作られているから、小生一人がなんとか壊そうと思っても、小生が兄妹の頭の中のスイッチを繋ぎかえることが出来なければ、壊し得ないものである。
しからば、小生が自分自身のスイッチを新たに作るしかないか。とりあえず携帯にカメラでもつけたりしてみれば良いかしらん。
ただし民家の解体は土建屋でも金にならんが、脳の壁の解体はそれこそ一円にもならんなあ。と思ってすげえ億劫である。
味覚の変化
2003/12/09
以前は赤ワインがあんまり好きではなかった。しかし、とあるフランス料理店で美味しく飲んだことがきっかけで、すこし印象が変わった。料理といっしょに飲むお酒としては悪くない、と今は思う。少し苦いワインが、口の中をさっぱりと流してくれるのが良い。
そういえば、小さい頃はわさびや唐辛子も苦手だったが、少しずつ食べるうちに好きになり、今ではわさび抜きの刺身や鮨は食べられない。
コーヒーは、その頃も飲んではいたが、砂糖とミルクが多くはいったものだった。今はその量が大分減った。もっぱら家で沸かして、砂糖を少し、飲むときにミルクを少し入れて飲む。小生はタバコを飲むが、程よく苦いコーヒーとまた絶望的にマッチするので、欠かせない。自動販売機のコーヒーは甘すぎて飲めない。ましてや小学生のときに給食で供されたミルメークなどはコーヒーとミルクに対する不敬罪であるとすら思う。
駄菓子は子供の頃なぜこんな美味いものを大人は食べないかと訝ったものであるが、いま思うとあの毒々しい色に寒気を覚える。そうでない、いわゆる昔からの駄菓子は懐かしいが、めったにお目にかからない。
そう考えると、味覚は歳とともに変化するというけれど、その歳が意味するものは生活環境や経験ということだろうかなと思う。
それにだいたい、人間は順応する能力が高い。順応してしまうと、刺激が減る。刺激が減ると何事もツマランと感じる。だから、味覚が変わるということは常に刺激を与えるようにしとるんではないかと思う。
とすると、肉至上主義である小生も、そのうち「最近はシツコく感じて、どうも、ね。」と肉より魚や野菜を食べる機会が増えるものだと思われる。
再販制度
2003/12/06
我ながら何を今更、とは思うが、インターネットオークションは便利だなあと思う。こないだ書籍を落札した時に改めて思った。
家の近所にはわりと大手の古本屋が一件あるが、コンピューター関係の本はやや古いものが多い。小説や漫画などとは違って、コンピューター関係は情報の鮮度がかなり重要だから、これはいただけない。かといって、普通の書店に行くと、書籍は一般的に再販制度があるから割引が無い。
それに比べると、ネットオークションはかなりのジャンルを網羅する品揃えがあり、また価格も安い。それでもって全国どこからでも買えるので、理想的な古書店といえる。
ところで、再販制度というのは、出版社が書籍の価格を指定して販売できる制度である。だから普通の商品とは違って、値引きして売るという事が出来ない。
書店が自由に値付けできると、売れるものしか仕入れない。そうすると数=利益が出る本だけが生き残り、結果として図書の質を低下させる。実際にイギリスだったか、そういう現象が起こったそうである。だからそんなことが無いようにと作られた制度である。
もしも、出版社や新書販売書店が、利益が出た分を、利益が出ないが価値のある書籍の出版や販売に廻す、つまり文化に対する理念を持っていたらそんな制度は不必要である。しかし理念じゃ飯は食えないから、この性善説は成り立たなさそうである。
そして、オークションはこの再販制度にどう作用するか?
それはまた今度ヒマな時にでも考えようと思っている。
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