均衡
2004/04/30
俺は子育てに自身が無い。誰しも多かれ少なかれ似たようなものだと思うが、限りないifの妄想が連鎖して怯んでおり、子供を育てるのは当分先になるような気がする。
ただし昨日は良い意味で妄想を抱いた。呆気にとられるほど陽気のさす祝日の午後、買い物の途中で若い親子を見かける。
「ブランコが揺り返すあいだに そしてそのように 君は大人になっていくのだろう」
この娘が大きくなったら晩酌をさせよう。きっと父親はそう思っているだろう。悪くない。俺だったらそうさせて、「久保、ナイスシュートだ。」とか、「阿部のヤロー、絶好調だな。」とか言いたい。
巨人といえば、小学生の頃までは熱烈な巨人ファンであったが、近年はアンチ巨人である。全員四番打者みたいなことをされると、どうしてもふざけんなコノヤロー、という気になる。であるから、巨人の相手チームをいつも応援する。しかし、これは裏返せば巨人ファンということにもなるだろう。
メジャーリーグの場合は、力の均衡を少しでもとろうという制度になっていて、たとえば、人気チームの商品の売上が、下位チームに渡され、その金で補強が出来たりする。伝聞だが、確かそうなっている。やはり観ている方としては、そうやって均衡があるほうがハラハラして面白い。
均衡がもたらす利益はスポーツだけでなくて、商業でも同じである。ずっとNTTやNTTドコモの天下だったら、ADSLの普及や携帯料金の値下げもこのように早く実現されたかどうか、疑わしい。
均衡は大事である。
ゴールデンウィーク
2004/04/29
今年も初夏の大型連休がやってきた。昨日、コラムのログをノーフレーム版としてテストしてみようと入れ替えてから、ふとそのことに気がついて、昨年、一昨年は何をしていたのだろうかとログを読む。
昨年は信州行きが仕事で駄目になり、何もしていない。美味いそばが食べたかったのに。
一昨年は伊豆に行った。その前の年も、たしか伊豆に行った。
伊豆には、偶然発見した小さな海水浴場があって、そこの水の色と来たら、ギリシアのエーゲ海に勝るとも劣らないものである。ただしもちろん、エーゲ海なぞ行ったことはない。
丘の上にぽつんと小さなドライブウェーがあって、休憩がてらに寄ると脇に小さな下る小道がある。丘の上からは海が見えたので、きっと海に出るのだろうと、そこを降りていく。45度くらいの斜面があったりしてかなり危険だが、行き着いた先にはそのような海があったのです。
5月の初旬であるけれど、天気も良かったこともあり、さっそくパンツ一丁になって飛び込み、泳ぐ。海中には小さな青い魚もスイスイしている。相当に気持ちが良かった。
その海岸の名前はH海岸といって、本来は別の場所から船にのせてもらって行く場所らしい。あまり人には知られたくないのだが・・・
さて今年は、今のところ一日だけバーベキューに行く予定である。その後はGW明けの仕事の準備をしなければならなそうである。
ちなみに、バーベキューとは、ネイティブアメリカンの言葉であり、野外で肉などを調理すると言う意味の「バルバコア」がスペイン人によって広まり、世界的な言葉になったと言う。(・Barbacoa【スペイン】・Barbecue【英】)

また伊豆に行って、伊勢エビを密漁、じゃなかった、サンマのうまい押し寿司を食べたい。
映画 「カノン」
2004/04/28
レモン味のキャンディーを舐めた後にコーヒーを飲むと酸味と苦味が絶望的に調和して毒人参の味がする。
映画『カノン』をDVDにて観る。監督はギャスパー・ノエ。前作は『カルネ』。
脚本は暗い狂気、罪と罰、愛憎をモチーフとしている。人間のネガティブな部分とそういった精神状況から救いを求めようとする逆の心理作用。馬肉屋のフランス人というところにも何か意味ありげだが、そこはよくわからん。
また、撃った娘の頭から真っ赤な脳漿が飛び出る妄想シーンの前に馬鹿にしたような警告が出るところなど、演出的に監督の個性がよく出ていると思う。
面白い映画で万人にお勧めということは絶対にないが、とにかくやたらと印象的。たまにはこういう映画も良いだろうが、一人で見ること、そしてその姿を見られないようにすることを薦める。
つまり毒人参味的な映画だが、なんかこう哲学的っぽくて、洒落たバイオレンスと歪んだ愛情映画っていうのにピンとくる輩には勧めたい。
評価:★★★★☆
『スペードの女王』
2004/04/27
なんとか『なんちてBLOG』の最終版が出来た。
『スペードの女王』(プーシキン著;神西 清訳;岩波)を読み終える。想像していたよりも、あっさりとした内容だった。それはドストエフスキーの『罪と罰』でラスコオリニコフが犯した殺人と比べて、動機や殺人現場の生々しさという点で比較した感想である。
もともとかなり短い小説であるから、そうあっさりしても仕方が無いのかもしれないが、やや物足りなかった。
それとは別に、『ベールキン物語』のほうの『その一発』はさらに短い小説ながらにかなり面白かった。ハードボイルドな死の観念を持つ男。現実的にそのような生き方など出来るわけが無いが、誰しもあこがれる、いわば英雄のような人間の話である。
ギャンブル小説
2004/04/26
ギャンブル小説を二冊借りた。
『スペードの女王』 (プーシキン著)
『賭博者』 (ドストエフスキー著)
これを借りたのは、宮本輝のギャンブルに関する随筆を読んで、ギャンブルには破滅への陶酔というものがあり、その異常時に著しく現れる特殊な人間性というのは作家を惹きつけるものなのだろうか、と興味を覚えたからである。
ちなみにその随筆の一文を要約すると、いつも炒飯を食べにだけ行っていた雀荘で、あるとき誘われて、なんとかなりそうなレートだと参加した。途中でよくよく計算してみると、桁を間違えており、冷や汗が出てきた。なんとか持っている金で精算が出来たものの、一ト月のホテルでのアルバイト代三万円を全て失ってしまった。
私が抜けた後に、入ってきたサラリーマンは、持ち金をすべて失って、「さあ、これからが地獄の始まりやぞ」と言って、紅潮する頬を両手でピシャピシャ叩き、内ポケットから分厚い封筒を取り出した。
彼がその後どうなったかは、知らない。
というような文章であった。小生などは小心者であるから、ギャンブルで身を滅ぼすというようなことは出来ない。だから、小説などでせいぜいその雰囲気の一とかけらを知ろうと思うのである。
口角泡を飛ばす
2004/04/24
5氏とのメールがその後も続いたので、続きはすこし先にする。
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先日飲み会の席でしつこい悪ふざけ(お絞りを投げるという他愛の無いもの)を受けて、滅茶苦茶久しぶりに怒った。俺の場合、平素はあまり怒らない。けれども、それは怒りを抑えているといったことではなくて、怒りを感じるということ自体が無いのである。ただし、自分の感情にはわりと素直なので、怒ると黙ってられない。
それでもこの場合は、翌日旅立つ知り合いが居るという状況だったので、不慣れながら我慢しておこうと思ったのだが、そう思えば思うほど、発散せずにはいられなくなり、困ってしまったので、帰ろうと思った。
そこで、悪ふざけをした当人がちょっと、ちょっとと話をしようとしたにも関わらず帰りはじめて、その当人がさらに怒ったわけである。俺は、人に不快な思いをさせんなよ、と怒鳴り、彼はそれくらいで場の雰囲気を壊すんじゃねえよと怒鳴る。
どちらも正論なので、すぐに行き詰まって掴みかかられる。俺はその頃には、相手の口の脇に湧いた泡がだんだんと増すのを見て、不覚にも「蟹みたいだなあ」と思い、怒りが結構引いていたので、暴力沙汰にはならずに済み幸いであった。
最後の見送りの場にこういうことをしてしまい、ただ申し訳ないなあと反省した。同時に、こう言う事があったということで、この日はとても印象的になったなあ、とも思いつつ、帰ってすぐ寝てしまった。
ジャーナリズムと民主主義
2004/04/22
今日は、先日書いたことを少し厳密にして改めて書きたいと思う。内容は殆ど変わらないが、すこし注釈を付け足そうと思う。
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「戦争で最初に犠牲になるのは真実である」
(David Halberstam、アメリカ、ジャーナリスト)
今回起きた二つの人質事件は、事件としては同じものだが、事の重大さはまったく別物である。であるから、さかんに言われている自己責任という言葉の意味もまた違ってくるのである。同じ言葉を用いて、同じように批判してはならない。
二番目に起きたジャーナリスト誘拐の事件は大変に重要であり、安直で感情的な非難の対象としてはならないものである。我々もそうであるし、彼らによってリスクを回避し、ジャーナリズムの精神だけを分けてもらう立派な報道機関であれば尚更である。なぜならば、今回人質になったジャーナリストは民主主義にとって欠かせぬ存在であるからだ。
ジャーナリストが戦地に赴く以上、死というものは覚悟している。決して安易に保護を確信して行くということは無い。少なくとも、俺が今まで見聞してきた記者の戦争取材の状況は、かなり生命の安全から遠いところにある。あまりに無防備だと思えるほどの素朴さ、軽装で出かけて取材をする。おそらくそれが取材の対象に肉薄する唯一の手段であるからだ。
そして、そうやって死を賭してまで彼らが実行するものは、権力からまったく独立して真実を知らしめるということであり、それこそがまさにジャーナリズムというものである。民主主義にとって絶対に必要なものなのである。もし彼らが居なければ、我々は政府の報告を鵜呑みにした報道しか得られないということになる。これがいかに社会にとって危険な事かはいまさら述べるまでも無い。
しかるに、ジャーナリズムが民主主義にとって絶対に必要である以上、その政府の労苦というのは健全な民主主義社会として当然払うべきコストなのである。より正確にいえば、政府の上に立つ我々が払うべきコストなのであるから、政府が払って当然のものなのである。
ところが、今の政府は二つの誘拐事件を分けて考えず、ただ我々がこんなに苦労して救助したのに、と盛んに言う。首相の疲れた顔に同情してその言葉を純粋に受け取って同調し、二つを一緒くたにして批判をする人もいる。
ただし、政府がそのように対応する理由は簡単で、自分達の影響外にある現地からの報道は、結果として国政に対する重大な批判になる可能性がある。政府としてはできるだけそのような批判は封じ込めておきたいからである。であるから、政府にとっては二つの事件がほぼ同時に起きたことはむしろ都合の良いことだったのかもしれない。
しかし、繰り返すが、民主主義を支える我々がそのようなまやかしや扇動にのっては決してならない。ましてや報道機関は言わずもがなである。
俺は彼らジャーナリストに再びイラクに向かって欲しいと思う。真実、あるいは事実をただ伝えて欲しい、と思う。その情報が無ければ我々はどうやってこの国の行動に対する判断を下すことができるというのだろうか。
ジャーナリスト達に対する批判が起きるような社会を見ていると、俺はどんな時代のどんな政治体制の生きているのかさっぱり分からないような気になってなんとも言いようが無い。
まあ民主主義よりも専制政治であった歴史のほうが圧倒的に長い国であるから、未熟であって当然であるのかもしれない、と諦めつつ吐き出すのが精一杯である。
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さて、もう一つの人質事件に関しては、俺は驚くほど単純な見解しか持っていない。それについては、明日、再び書くことにする。
ところで、最も古い友人である5氏がその件についてメールをくれて、大変参考になった。全然予想していなかったので、驚いたが大変嬉しかった。また的確な洞察の内容で、ためになった。前もって謝辞を述べると共に、それを引用して返信したメールを掲載する予定である。
ジャーナリズムと民主主義
2004/04/21
「戦争で最初に犠牲になるのは真実である」(David Halberstam)
イラクの人質問題について、いま盛んに自己責任だとかいう言葉が出ている。要するに、危険な地域に自ら勝手に行った人間に対する批判である。
こういった断定的な批判は大抵がそうであるように、なんて浅はかなのだろうと思う。まだ大衆がそのような安直な理論(感情的批判とそう違いない)に同調するのはよくわかるが、立派な報道機関などですらそのような有様であって、正直、ウンザリする。
もちろん、そのような自己責任という要素が全く無いかといえば、そうではないと俺も思う。しかしそれ以上に今回人質になった人間は民主主義にとって大切な要素なのである。
まず、人質についてボランティアとジャーナリストに分けて、後者について述べる。人質になったようなフリーのジャーナリストというのは非常に重要な存在である。大手の報道機関は彼らから情報を得る。自社の記者が事件になったときのリスクを彼らによって回避しているのである。そういった連中が自己責任云々というのは完全な自己撞着であり、問題外である。
そもそも、ジャーナリストが戦地に赴く以上、死というものは覚悟している。決して安易に保護を確信して行くということは無い。少なくとも、俺が今まで見聞してきた記者の戦争取材の状況は、かなり生命の安全から遠いところにある。あまりに無防備だと思えるほどの素朴さ、軽装で出かけて取材をする。おそらくそれが取材の対象に肉薄する唯一の手段であるからだ。
そして、そうやって死を賭してまで彼らが実行するものは、権力からまったく独立して真実を知らしめるということであり、まさにジャーナリズムというものである。そしてそれこそが民主主義にとって絶対に必要なものなのである。もし彼らが居なければ、我々は政府の報告を鵜呑みにした報道しか得られないということになる。これがいかに危険な事かは述べるまでも無い。
政府は我々がこんなに苦労して救助したのに、と盛んに言う。首相の疲れた顔に同情してその言葉を純粋に受け取って同調し、批判をする人もいる。
だがしかし、先ほど述べたように、ジャーナリズムが民主主義にとって絶対に必要である以上、その政府の労苦というのは健全な民主主義社会として当然払うべきコストなのである。より正確にいえば、政府の上に立つ我々が払うべきコストなのであるから、政府が払って当然のものなのである。
これほど自明な理論でありながら、政府が労苦をアピールして規制をかけようとする理由は単純に理解できる。自分達の影響外にある現地からの報道は、結果として国政に対する重大な批判になる可能性がある。政府としてはできるだけそのような批判は封じ込めておきたいのである。しかし民主主義を支える我々がそのような扇動にのってはならない。ましてや報道機関は言わずもがなである。
俺は彼らジャーナリストに再びイラクに向かって欲しいと思う。真実、あるいは事実をただ伝えて欲しい、と思う。その情報が無ければ我々はどうやってこの国の行動に対する判断を下すことができるというのだろうか。
ジャーナリスト達に対する批判が起きるようないまの社会を見ていると、俺はどんな時代のどんな政治体制の生きているのかさっぱり分からないような気になってなんとも言いようが無い。
まあ民主主義よりも専制政治であった歴史のほうが圧倒的に長い国であるから、未熟であって当然であるのかもしれない、と諦めつつ吐き出すのが精一杯である。
記録型DVDドライブ
2004/04/21
記録型DVDドライブ(以下DVD_R)が本当に安くなった。8倍速書き込み(これはCD-Rの48倍速以上に相当する)のできるドライブでも、1万円以下で売られている。秋葉原では、あまり有名ではないメーカーの製品だが7000円でも売られているという。
小生がDVD_Rを購入したのは1年ほど前である。2万円くらいするDVD_R(内蔵型)を購入し、この1年は大活躍であった。このように記すと、おそらく秘蔵動画を保存しているだろうと思われるだろうが、なぜかそれはしていない。
子供がいる人は、写真や動画のデータが沢山あるだろう。そういうものはDVD_Rに入れてテレビで見ると良い。また、テレビドラマをキャプチャーカードで取り込んで、DVDに保存するというのも良い。
また、レンタルしてきたDVDが、まだ見ていないのに返却日になってしまったときも、とりあえずHDDからDVDに焼いて、後日観る。その際、書き換え・消去が可能なRWメディアが活躍する。
なお、DVDの複製は、プロテクトを解除するということが違法という訳の分からん法解釈が適用されるので、あくまでもこれはそういったことが実現可能であるという話である。
人間形成の出来た、理解のある大人は、まあ見たら消去するくらいは良心として持っているものなのであるから、たかが複製して自分が楽しむくらいで法がどうのこうのとは言われたくないし言いたくもない。それは小生の趣味ではない。
ところでDVD_Rには、+R(RW)と-R(RW)とRAMという3つの規格がある。RAMはよく分からんが普及率的には厳しそうなので省略する。
まずRとRWの違いだが、Rは追記できるが、消去してまた記録することは出来ない。また、DVDとして作成する場合は、互換性を重視すると追記できないようにするのが普通である。ようはCD-RとRWと同じである。
+は-ドライブでの記録・再生が出来ない。これは逆も同じ。ただし記録型でない、通常のDVDドライブやDVDプレイヤーだとほぼどちらも再生できる。また最近のDVD_RはDVD±Rといって、どちらの記録・読取も可能なものが主流であるから、それが一番良い。
また+Rはソフトやファームウェアによって、ROM化ができる。これは通常のDVDディスクですよ、という情報を+Rメディアに書き込むということであるから、再生できる可能性がかなり高くなるという具合である。
メディアは有名なメーカーの製品がよい。本来はむしろアンチ・ブランドな小生であるが、値段以上の品質の差が存在する以上、おとなしくマクセルやTDKや太陽誘電といったところのものを買っている。ポリシーやプライドが無いと思われるかもしれないが、思想と行動が安直に固く結びつくことはバランスが取れておらず、生じる害悪のほうが大きい。
ドライブ自体としては、速いもののほうが良い。一度安いメディアを買ったのだが、2倍速までの対応のものだったので時間がかかり、自分の動きがスローモーションになる悪夢を思い出して以来、二度と買っていない。4倍速であればかなり早く感じる。現在、±Rの8倍速製品は、RWも4倍速なのでかなりストレス無く使用できるはずである。DVDの複製が2時間ものがおよそ30分で作業できるだろう。
プリンタとかスキャナとかは、PCライフに必需のようなものでいて、実際はそれほど使わない。たぶんEPSONとかCanonの戦略に乗せられているだけであろう。それよりもDVD_Rのほうがかなり使える機器なのである。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』
2004/04/20
なんちてBLOGの改訂をした。記事作成と修正を一つのCGIにしたり、画像のスロットの動作をより正確にしたりした。我ながら適当なソースだなとは思ったが、動作に問題が無ければそれで良し。
昔、IBMのファインマンというプログラマーが居て、原爆の研究に関わるプログラムを作っていた。そのグループの優秀な部下が、あるときから仕事が遅れてきたので不思議に思って尋ねると、どうしてもアークタンジェントを求めるプログラムを作りたい、と没頭していた。
ファインマンはでも君、アークタンジェントの表は物理の本に出ているよ、(冗談で)本を貸そうか?と言ったが、その部下はどうしてもIBMでやりたい!となおも熱中してしまった。その結果、この部下はクビになったのである。
これは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店刊)に掲載されていた話である。何となくその話を思い出した。
改訂したバージョンは、じきに公開しているものと入れ替える予定である。
映画 「ディナー・ラッシュ」
2004/04/18
映画『ディナー・ラッシュ』をDVDにて観る。監督は実際にレストランを経営し、また音楽のPVの監督としても活動する老人、ボブ・ジラルディ 。出演者はダニー・アイエロ。
レストランに関わる人の人生模様がよく描かれている。それらの模様は淡々としており、かえってリアリティがある(ラストの落ちとして解決される問題を除いては)。調理の場面のテンポの良さとあいまって、ポップなまま気負わず観られる映画である。
料理に興味があれば尚更、無くてもほどほどに楽しめる映画である。
評価:★★★☆☆
映画 「トゥルー・クライム」
2004/04/18
映画『トゥルー・クライム』をDVDにて観る。主演・監督はクリント・イーストウッド。
クリント・イーストウッドが殺人事件の真相を求めて調査する記者を演じる。結局C.イーストウッドのカッコイイカッコイイ映画であるから感想もへったくれも無い。シナリオも単調。民放の日曜洋画劇場でならば暇つぶしに観ても良いだろう。
評価:★★☆☆☆
国際的活動
2004/04/16
民主主義において、政府と民間の国際的活動がすべて一枚岩になるというのはあり得ない。そしてそこの隙間にテロリストなどは簡単に付け込めるのだろうなあ、と最近のニュースを見て思った。
であるから、今回のような卑劣な誘拐事件への根本的な対処はこの乖離を埋めることだが、それが出来ないところが、まあ民主主義の弱点ということになるだろう。当然ながら、それをひっくり返して言えば、民族主義・共産社会主義の強いところでもある。
結果に対する反応
2004/04/15
以前、友人のG氏の引越しを手伝ったときに、パソコンデスク用の椅子を頂戴した。なかなか良い調子で使用していたのだが、最近、ねじがぽろりぽろりとこぼれ落ちて困っている。
こないだなどは、座って背をもたれていると、背もたれ部分が突然ボロっと取れて背中に支柱が刺さった。いくらねじが取れるとはいえ、まさかそのような事態が起ころうとは想像だにしていなかったので、完全に無防備な状態から、マトリックスの銃弾よけ宜しく後方に仰け反って倒れた。
非常に痛かった。
そこでこの際、全てのねじを締めなおしたのだが、そのことで安心しきってしまうと、また危険である。であるから、つねに緊張感をもって鎮座することにする。
結果に対する反応というのは、気構えがあるかないかで異なってくるのである。
ちなみに、根本的な解決として椅子を買い換えれば良いとは思うのだが、また買い物するのにあれやこれやと悩むかと思うと、このまま使っていたほうが宜しい、と思われる。
映画 「ギルバート・グレイプ」
2004/04/12
映画『ギルバート・グレイプ』をDVDにて観る。主演はジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ。それから、ジュリエット・ルイス。
この人は『フロム・ダスク〜』にハーヴェイ・カイテルの娘役で出ていたが、他にも結構な数の映画に出ている。整った美人という顔ではないが、存在感がある。
監督はラッセ・ハルストレムで、他に観た映画としては、『ショコラ』、『サイダーハウス・ルール』がある。『ショコラ』にはジョニー・デップも出演している。どちらも心温まるドラマで、評価としては★★★★☆(+0.5)というところ、面白かった。
本作はピュアでプアでカインドな青年、ギルバード・グレイプの生活にささやかに生じるドラマというお話である。不幸な出来事が起こって時にメゲつつも、素朴に誇りを持って生きるというような話で、女子中学生とかにはうってつけかもしれない。
個人的には、保険セールスマンのオヤジ---見えているものを見えないフリをする演技、シナリオが切なくて良かった。
それからディカプリは知的障害児を演じるのだが、今まで他に観た映画のどの役よりも良い演技である。脅える姿やふとまじめな顔つきをするときに見せる顔、そこにこの役者の本領があるのではないかと思う。
個人的には、この映画、主人公がジョニー・デップではなくてブサイクな役者に演じて欲しかった。ハンサムな面構えと、脚本や役の地味さとがどうも乖離を生じているように思える。
母親が「貴方は光り輝く騎士よ」という台詞も、ブサイクに向かって発すればこそこの脚本のテーマがより深く理解させられる気がする。もっともそんなキャスティングをしたら映画自体のヒットは望まれないだろうが。
評価:★★★☆☆(+0.5)
パン
2004/04/10
こないだ生活用品を買いに近くのドンキホーテというディスカウントストアに行った。洗剤やらを仕入れて外に出ると、小さいバンでメロンパンが売られていた。
いったい、メロンパンは何がメロンなのか俺にはわからない。形はメロンといえばメロンだが、それもひとえに井形の溝がそう思わせるだけで、率直に言えばドーム球場のドームに近い。味はといえば、メロン味などしない。砂糖とバターの甘い味である。別にそれが悪いことではないが、一体どこにメロンの要素が潜んでいるのかという疑念は湧くことを尽きない。
そのようなわけで俺自身は全くメロンパンに惹かれないが、同行者がどうしても買うというので勝手に買わせた。車の中で焼いているのかどうか、普通のコンビニで売っているやつよりは焼きたてな感じがした。
パンといえば、小学生の時の通学路にパン工場の横を通るルートがあって、そのバターの甘いニオイにうっとりとした記憶がある。
邦人誘拐
2004/04/08
邦人誘拐のニュースを聞いて、しかし非道い話だと衝撃を受けた。誘拐された方は民間人としてイラクの復興に協力しようとした人もいるのである。そういった人を人質にとるというのは、人道もへったくれもないではないか。と久しぶりに腹の底から憤慨した。
その憤慨は、俺自身の見通しの甘さにも原因がある。まさか民間人を誘拐して、自衛隊に揺さぶりをかけるとは想像もしなかった。自衛隊に対する攻撃というのであれば、同じ武装した集団であるし、これほどの衝撃を受けることは無かったと思う。
このように俺が衝撃を感じたということは、つまり、民間人誘拐というやり方は、自衛隊に攻撃するより効果的な方法である。それほどイスラム過激派は必至だという事を改めて思い知らされた気がする。
なのはな
2004/04/08
こないだ千葉のマザー牧場がテレビで流れていて、菜の花畑が一面に拡がっていて、とても綺麗だった。
『風景』 -純銀もざいく-
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
山村暮鳥 『聖三稜玻璃』より
味覚の変化
2004/04/08
以前はあまり甘いものを食べなかったのだが、最近どうも食後に欲しくなる。今日は、以前知り合いから貰ったチーズタルトとかいうものが冷蔵庫にあったので、それを食べた。直径にして5cmほどのものであるから、量はそれほどでもないが、その割には何か満足感がある。いわゆる締め的な満足感である。
そういえばフランス料理などでは食後にチーズの盛り合わせを食べたりするが、こってりした後でそんなものを食べるとはどうも解せん。タルトのように甘い味であればまだしも。
いずれにしても食後にデザートなんか食べていれば、最近気になりだした腹から腰の周りがまたいっそう危機に晒されることになるが、ゆくゆくはダブルのスーツを小粋に着こなすことを密かな楽しみと待っている小生であるから、さほど恐れは無い。
そういえば、最近、本当に暇つぶしの意味でスティーブン・キングの『痩せいく男』を読んでいる。デブの中年弁護士がジプシーの呪いでどんどん痩せていく話である。途中で、以前観た映画、『Justice for All』が出てきて偶然だなと思った。そしてその一行になにか意味があるのかと思いきや、主人公の職業が弁護士という設定なのでそれに関連して登場しただけであった。つまり単にリアリティを出すひとつの演出に過ぎないのである。
話はファンタジーなのに、描写はリアリティ、という辺りがなんだか面白いような気がして読んでいる。
白熊
2004/04/06
昨日NHKで白熊の生態ドキュメンタリーを放送していたのだが、白熊は3月から6月、氷の張った海で、氷を頭と手で突き破り、アザラシの巣にいる子供を食べる。
白熊の白い毛皮にアザラシの子供の血が張り付いている。そのコントラストがやけに鮮やかで、自然の純潔な厳しさを象徴しているように思えた。また、この時期に白熊のオスは、出産を終えたメスに連れられている子供を襲うこともある、という事実も衝撃的であった。
興味深く観ながら、何時の間にか寝てしまった。春眠暁を覚えず。
桜の花
2004/04/02
サクラなど、花は誰が撮っても同じようなもんだろ。
と日頃思っている小生ですが、それでも撮ってみようと隣の公園に出かけて撮りました。これ以外は掲示板に貼り付けましたが、独自性などは出ておるのでしょうか、いまだ疑問です。
ところでサクラは今年も、いつの間にか咲き、いつの間にか散るようです。
年金問題
2004/04/01
年金のCMに出ていたタレントが滞納していたなどという事はどうでもよい。(制作費に数億円かかったことは、相変わらずコスト意識がねえな、とは思わせるが。)
とにかく可笑しいのは、その内容が、日本経済、政府が破綻しない限り年金制度もまた破綻しない。(したがって年金制度は永久不滅に磐石な制度である)ということである。
しかし、そんな強気な調子とは裏腹に、今国会の年金法案に関わる混乱の様相はこの制度の悲惨な未来を正直に物語っているようである。
年金という制度が人間社会において合理的かつ必要不可欠な制度であったとしても、運用を間違えたために制度そのものが崩壊するという危険性は十分に考えられる事態である。
そういえば、年金という税負担は前の世代が作ってくれた社会インフラに対する使用料だと思いなさい。以前、新聞でヨーロッパの学者がそう言っていたのを読んだことを思い出した。
確かに我々は整えられた社会インフラを便利に使ってはいる。しかし、不要なものもよほど沢山ある。時間は不可遡なので、なんでこんな余計なものを作ったんじゃ、とその不要さ怒ることは出来ない。
だからこの説には納得がいかないところがある。
地震
2004/04/01
今日はなにか微弱な地震が続いているような気がするのだが、特に報道も無いし、まさか椅子の調子がただ単に悪いだけなのだろうか。
そう言えば、この二三年のうちにいつ大地震が関東地方に来てもおかしくない、という話をいつか聞いたのだが、それを思い返すとちょっと怖い。むしろ相当に怖い。
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