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PRIDE 男道 無差別級 グランプリ 2006編

2007/01/27

年末年始は実家に戻っていたので、いったんオンラインDVDレンタルのDMMを休止していたのだが!



これを見損ねちまった。

まあ来月見るとしよう。

ミルコ・クロコップも見納めだし。

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2007年

2007/01/26

毎年なにか一つ新しいことをやろうと思っていて、今年はゴルフに決めた。というかまあ正確なところは昨年からだが。一緒にやる人間のモチベーションが高いので、その意味じゃ環境が良い。

ちなみに俺の先生はPGA公認のティーチングプロ、スコット・サケット先生。その明快な理論に惚れた!さすがアメリカ!一生ついていきますよ!だがもちろん、実際には一度もあったことはない。



まあ俺の場合、たぶん接待でゴルフなんて事はこの先無いだろうし、あっても俺が一番楽しむというポリシーは変えられない。それで良いじゃないか。

ちょっと残念なのは、平日って結構安くコースを回れるのだが、平日休めそうな人が周りにいないって事。


さてまあそれはそうとして、仕事はどうしよう。もちろん、量を増やすのは当たり前だが、技術的には・・・昨年はFLASHの初歩的なスクリプトをやったり、Illustlatorのパスの技術を習得したりして、なかなか良かった。

今年は・・・PHPかなあ。いまさらPERLのなんちてBLOGを見直すっつーのもやる気がおきねーし。

っつーか、パソコンを買い換えようと思っているのだがそれすら面倒くさい今日この頃。っつーか、Vistaとかいらねーし。なんかあれだろ?10ギガとかインストールされるわりに、画期的なファイル検索システム搭載見送ったんだろ?(すべてうろ覚え)

とか思うとちっとも購買意欲が湧かない。タスクバーは格好良くなったとは思うが。

新しくPCを買うと強制的にVistaつーのもなあ。

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『カンブリア宮殿』 2006年10月16日放送

2007/01/22

ゲストは京セラ名誉会長稲森和夫。

京セラが巨大企業と言うことは知っていましたが、それを稲森が一代で起業したというのを初めて知ってすげーなーと感心しました。

特に、松風を辞めて京都セラミックスを起業したとき、28人でスタートしたというのが、よほど稲森に魅力があったか、あるいは同じ心境や志をもっていた仲間がいたということであって、いずれにしても希有なことだなーと感心した。

あと、京セラの携帯端末がなぜAUやWILLCOMにしか供給されていないのかが分かって面白かった。

それは第二電電(KDDI)を創立したのが京セラなどの企業連合だったからですが、またそれを思うと、NTTという公社・巨大企業を盾にして挑戦をしていたという点で、現在の楽天やソフトバンクといった企業よりもはるかな先駆けだったんだなあと。

同時に、いわゆる京セラフィロソフィーとか経営者としての考え方が、IT系など安易な上場企業に対する批判になっているようで面白かったわけです。

番組としては、ゲストがよく喋るのでよく纏まっていました。とりあえずミクロの決死件、そろそろ止めてくれねえかなあ・・・と。レギュラーのコーナーにする必要があるのか?

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マスコミの報道

2007/01/21

最近もっぱらゴルフに熱心な日々なわけです。前に、泳げるようになりたくてジムの水泳教室にオバサンたちとまじって習ったときと同じように、できなかったことが出来るようになってくる喜びというものはなんともいえない快感がありますね。

それにコースに行くと、じつに雄大で気持ちがいい。まあ多少なりとも環境破壊であるという点ではすこし後ろめたくもありますが・・・。

ところでこないだ友人と打ちっぱなし場に行くときに、不二家の話になって、まあマスコミはここぞとばかりに神経質に報道しますが、その一方で自分たちの社員の不祥事に対しては実名報道もしないし、懲戒解雇もしない。

そういう態度のほうがよっぽど許されざるものだと思うよね。という話をしていました。

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映画 『硫黄島からの手紙』

2007/01/14

観る映画の本数のわりにはあまり映画館には行かないんですが、これは映像や音響が凄そうなんで行きました。

監督は俺の苦手なイーストウッドでしたが、とても素晴らしい作品でした。硫黄島での出来事は他に文献など当たっていないので、史実の考証という点での見方は最初から無く、また特別なイデオロギーも持たず、極力映画として観るように努めたのですが、シナリオの纏め方といい、映像といい、すげえクオリティだったなあ・・・というのが素直な感想です。

戦争そのものの虚しさや、軍隊という組織を持ってしても抑えることの出来ない個人の性向とそこから産まれるドラマというものがよく描かれていました。それは西郷の性への執着、栗林の聡明さ、清水の優しさ、伊藤や林の身勝手なドグマなど全てに共通する描きようでした。

そういった意味で監督の意図は成功したと言えます。

戦争映画というよりは、国、友情、そして家族の絆を掘り下げるヒューマン・ドラマなんだ---クリント・イーストウッド

演技については、渡辺がすこしオーバーアクトだったかな、というのと、二宮がちょっと童顔すぎるなあ・・・と。特に西郷のふてぶてしさというものが演技によってよく表現されていた分、ギャップをより感じてしまったかもしれない。しかしまあ二宮は天才的なものがありますね。


映画館の中ではすすり泣く声も聞こえたのですが、俺はそういう気持ちには殆どなれなかったなあというのが正直なところです。むしろヘンテコなドグマに支配された滑稽さ、それ故の哀れみを強く感じました。

なんでしょう、潔く散れっつーか死ねというのは日本人が好むような考え方であるようなんですが、それがまた武士道とか神道あるいは国に結びつけられてしまうようですね。そこいらが理解しがたいというか受け入れがたいというか。

映画の中ではそういった思想を持つ人がファナティックな雰囲気もあったりしてますます不可解な印象を受けたりします。


それとは逆に、栗林の考え方は良く分かる。彼の場合、意味不明なドグマは一切ありません。米国留学で培われた軍事的合理主義と、天皇を長とした日本国に対する愛国心から導かれる結論、それは戦争をするからには勝たねばならないという一念だけだったんですね。

そんな彼も結局最終的には玉砕戦法を取るわけですが、それは先ほどのような奇妙なドグマからの行動ではなく、純粋な愛国心、家族愛なんですが---米国留学し、初代カナダ公使館付武官になった彼をそういった非合理的な行動に押しやったのは何だったのでしょう。皇国思想はもとより、膨大な部下を犠牲にしたことへの開き直り的な懺悔だったのかもしれないなあ、などと思います。


それにしても、組織というのは軍隊だろうが官僚だろうが、まあ秩序の完全に取れた統制というものは幻想にすぎず、しょせん組織というものは中間管理する立場の人間によってその質が決められるのだなあ、今の日本の官僚制度も似たようなもんだなあ・・・などと映画とはあまり関係のないことを考えながら帰途につきました。


いずれにしても、この映画がアメリカ人によって作られたことは良かったのだろうと思いますね。なぜならば、日本人は国際的な戦争経験が乏しいから色々と後処理などがヘタクソ---物質的にも精神的にも---だからですね。ヘタクソが作る映画がヘタクソでないわけがない。

また、二作を作ったことも素晴らしい事だと思います。早いところ『父親達の星条旗』も観なきゃいけねーなと思ってます。


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